人生初めてのオペラは『レ・ミゼラブル』 当時付き合っていた彼女がシアトル郊外のホテルで今セルジュとして働いていて、シアター関係者から無料でチケットをいただいた。 時は1993年。 スマホもなければ、Windows95もない。 パソコンを使って簡単に検索することなんて概念にない。 ドレス・リハーサルと聞き、日本から持って行ったスーツを着こなし彼女と一緒にシアトルのシアターへ。 シアターに着き、周りを見渡すとスーツを着ているのはオレくらい。 ドレスを着ている女性も殆どいない
オレはミス・〇〇などのビューティーコンテストに大賛成だ。 見た目の一遍価値を評価するな!といった反対意見もわかるし尊重する。 オレが『ミス・ティーンエイジ・アメリカ』にアジア系で初めて選ばれた、ローリー・マツカワさんと会った時の事。 日本に帰国する飛行機内で隣に座っていた台湾系アメリカ人の女性の紹介で数か月後にシアトル郊外の小さな教会でお会いすることが出来た。 『ミス・ティーンエイジ・アメリカ』に選ばれると、一年間は世界中様々な土地を訪れる。 その中には貧困に苦しむ地域、
オレは映画が大好きだ。 特にアメリカやイギリスの英語映画。 SFやアクション映画を見るときは帰国後も映画館に良く通っている。 大好きなエイリアンシリーズの最新作、 『Prometheus』を観るため平日午後半休をとって品川の映画館へ行った時の事。 上映前にチケットを買い、近くのアンナ・ミラーズで遅めのランチ。 糖尿病になる前の事でいたって健康だったオレ。 しめにはパフェを堪能。 映画館へ戻る途中、おなかが『きゅるきゅる』言い始めた。 映画館までは少し遠い。 より近くにあ
小二の算数の授業中の事。 立方体の上面、底面、さて横の面はなんて呼ぶでしょう? 理科の教科書を大好きな絵本のように読み込んでいたオレは、小魚の脇にある線を『側線』と呼び、大きな魚たちから群として種を守るため集団で泳ぐ際、『側線』があることで仲間同士ぶつからずに泳いだり急回転できると書いてあったのを覚えていた。 もしかしてと思い、手を挙げて 「側面!」 80年代後半には日本の自動車メーカーの一つ、MAZDA がこの概念をもとに、接触自動回避機能を研究しているという記事を読
病院の帰り道、一車線道路ですれ違ったダンプカーの運転手。 ハンドルの上にスマホを持った左手をのせて笑っていた。 視線は完全にスマホに向けられている。 自転車に乗ったオレは小学校の横を通ってきたばかり。 彼にも生活がある。 仕事を失って欲しいなどとは思わない。 しかし、横っ面をひっぱたかれるような出来事がないといつか取り返しのつかないことになってしまう・・・。
鼻腔手術前の検査。 手術後入院中、普段とは別の病院で糖尿病、血糖値コントロールを行ってもらう。 その為、その手術を受ける病院の糖尿病内科で問診を受けた。 「インスリン使ってるの??」 と、驚かれ 電子カルテには、 「1型糖尿病?」と記入される。 既に血液採取は済んでいたが、 最後には、 「抗GAD抗体とCペプチドの検査をしたいので、もう一度血液採取をしてもらってください。」とのことで、再度採血検査場所へ。 たまたま同じ生理検査技師さんになり、 「あれ? KenGさん、血液採取
オレのアメリカ留学はスムーズに始まった・・・訳ではない。 波乱とまで言わないが、渡米半年で2回の引越しをした。 引越し後はワンルームアパートで独り暮らし。 大学で知り合ったアメリカ人の友人、ダンが両親の家から家具や食器を運んでくれ、契約書にも連絡先として名前を書いてくれた。 ホストマザーやルームメイトはいなかったものの、プライベートな空間と時間が出来たおかげで逆に生活のリズムをつかみ、ダンやクラスメートと過ごす時間が増えて語学も上達し、留学生活も軌道に乗った。 日本人の友
記憶とは不思議なものだ。 突然昔の事を思い出したりする。 アメリカ留学中、映画館の席に座り上映を待っていた時の事。 オレの隣二席は空いていて、そこに10代とみられる女の子二人が座った。 座って間もなくすると、 「Can you watch our sheets, please?」 この席、見張っていてくれますか? と。 オレはすぐに戻ってくるものだと思い、軽い気持ちで 「Sure、勿論!」と答えた。 しかし、彼女たちはなかなか帰ってこず、他の観客は砂漠にあるオアシスを見
ポッドキャストから度々聞こえてきた言葉。 印象に残ったのは、 『いろいろなモラル』がある、との一言。 まあ、文化によってモラルは違うし、 個人によってもモラル、すなわち道徳観は違っている。 集団のモラルというのもある。 こういう場合はどうだろう。 10人乗りの救命ボートがある。 生存者は11人。 11人の中から助からないものを選び出す、または1人が犠牲になることを名乗り出る。 はたまた、1人の犠牲の上に生き延びる事はモラルにかけるとして全員が救命ボートには乗らない。
3歳。 人間が遡って覚えていられる記憶の年齢、以前どこかで読んだ。 オレが4歳、幼稚園年少さんだった時のこと。 定期的に持ち物爪切り検査が行われていた。 ハンカチ、ちり紙、そして爪切り。 「ハンカチ、良し。」 「ちり紙、良し。」 「爪切り… あれ、KenG君お母さんに切ってもらえなかったね。」 その日はオレが自分で爪を切っていた。 「ボク、自分で切った。」 「KenG君、えらい! じゃぁ、良し!」 と、多少伸び気味できれいに整っていない爪を見ながら吉永せんせいはそ
オレは人好きだ。 だけど、人付き合いは苦手。 対人関係でトラブルになった事柄を思い出してみた。 時にオレは ”半年ぶりに飼い主に会ったゴールデンリトリバー” のようになってしまう。 まぁ、これもオレの個性だし、特性だ。
進学した高校のサッカー部。前年度全国大会ベスト8。入学直後の大会では県大会決勝まで進出したが、その後低迷期が続く。 低迷脱出の為、監督が思いついた秘策。 それは、試合中にはお互い対戦相手の分からない、韓国語を使う事だった! 『これなら相手チームはこちらの試合運びは分からず混乱し 自分たちは大声で指示を出しながら試合を有利に進められる!』 きっと監督はそう思ったに違いない。 日頃の努力を発揮する日が来た。 「パンデ、パンデ!」 「チプチュン・ハラ!」 「??」 「ど
留学中受けた経済学の授業でビックマック指数が取り上げられた。 各国の為替・貨幣価値と国内物資購買力の比較に使われる。 とても複雑な国際経済をこれだけで結論付けることは出来ない。 あくまでも、自国のお金がどれだけの購買力があるかどうかの目安。 と、オレは記憶していた。 何しろ、1992年、32年前の話だ。 (さっき調べた)説明とは少し違っている。 授業はテキストブックを使わず、教室に入りデスクに座ると 「Any questions? 質問は?」と始める ミスター・リギ(Mr
オレの高校では1~2年生は同じクラス。 3年生になるとクラス替えが行われていた。 1~2年のクラスではとてもバランスよく仲が良く、オレも楽しい高校生活を送る。 1985年3月に卒業する記念として、1~2年のクラスで温泉旅行を計画する。 発案者・実行者はKenG。 KanGの誕生。 一泊二日で飲み放題付き。 高校を卒業したばかり。 殆どが18歳。 中にはまだ17歳のクラスメートも。 ホテル側に飲み放題コースを予約するには数年早い。 予約時に『〇〇高校です。』と正直に言った
初めてITエンジニアとして働いた企業。 東京にオフィスを構えていながら、経営陣からエンジニアまで殆どが外国人。 公用語は自然と英語になる。 殆ど現場経験のないオレ、最初は社内で他のエンジニアや人事・総務のサポート業務を始める。 英語と日本語、ごっちゃまぜの日々。 ある日取締役エンジニアから彼のPCをまっさらな状態にセットアップして欲しいと言われる。 自らも開発者である彼からのリクエスト。 「1台のPCで、Windows98、WindowsNT、and Windows95、3
小学校6年生の夏休み。 町内会のラジオ体操でみんなが集まっていると同じ6年生の江川くんの姿が見えた。 互いに「おはよー!」 江川くんの後ろに頭一つ出た丸坊主の見知らぬ男の子が立っている。 オレの視線を察した江川くん、 「KenGくん、この子最近引っ越してきた吉田川くん、5年生。 あだ名は、吉田・と・も・だ・ち・くん!」 「あっそぉ~。 ラジオ体操終わったら一緒に遊ぶ?」 シンプルな時代だった。 子供にとって引越しはそれまでの人生において一大事となるイベントの一つ。 慣れ