ひとつの歌_たけし

ひとつの歌、のこと。


『ひとつの歌』という映画を観た。


今年の1月に公開された『ひかりの歌』の監督、杉田協士さんが約9年前に撮った映画だ。
『ひかりの歌』はわたしにとって大事な映画のひとつとなっていて、東京での公開中、2回劇場に足を運んだ。渋谷ユーロスペースと下高井戸シネマ、まだ長袖を着ていた時期だったなぁ。


東京での公開が終わり、日本各地で上映を行ったのち、今夏東京での凱旋上映が決まったそうだ(ものすごくうれしい)。
凱旋上映に際し、杉田監督が昔に撮った映画もあわせて公開されることとなり、そのうちのひとつがこの『ひとつの歌』だった。


簡単なあらすじ。
主人公の青年たけしは植木屋として働きながら、趣味でポラロイド写真を撮っている。
ある夏、写真屋の女性とうこから未使用のフィルムをもらったことで、ふたりは距離を縮めるが…。


見終わったあとは、なんだか頭がぼーっとしていて、でも心の中はざわついていて、うまく呼吸ができなかった。外に出ると、一気に蝉の声に囲まれて、まだ映画が続いているように錯覚した。


『ひかりの歌』みたいに、やさしく発光する映画を予想していたんだと思う。とにかく混乱していた。
やさしくないわけではないのに、なにかにさらされたまま、行き場のないまま放り出されたような気持ちになった。
映画を観てこんな気持ちになったのはひさしぶりで、このままだとまっすぐ歩くこともできそうになく、近くの喫茶店に飛び込んだ。手持ちのノートに相関図やら疑問を書きだす。


そのなかで気づいたことがある。
『ひとつの歌』のなかでは、誰も、それぞれの動機を語らない。描かれない。


「とうこのおかあさんがよく歌っていたうた」「たけしはポラロイド写真を撮っている」という事実は描かれている。
でも「どうしてとうこのお母さんはその歌をよくうたっていたのか?」「どうしてたけしはポラロイド写真を撮り始めたのか?撮り続けるのか?」は描かれない。


劇中、唯一とうこがたけしに動機を聞く場面があった。
「どうして写真を撮っているんですか?」という問いに対し、たけしは困ったように笑って。それだけだった。



映画を観ていると思う。
わたしたちは、この登場人物が今このような言動をとる原因を“過去にあった○○”に求めてしまいがちだし、実際物語の後半でその原因が明らかになることが多い。
登場人物自身の独白であったり、第三者の告白であったり形式は様々。
加えて、その原因を克服するところまで描かれることも少なくない(インディペンデント映画では、あまりその傾向はないような気もする…)。


でも、杉田監督の作品にはそれがない。
登場人物たちは、彼ら固有の心理的障害や、どうしようもなさを抱えてはいる。でもその原因を明らかにはしない。
なにを抱えているかはわからないまま、ひととひとが近づく。


なにも明らかにしあわずとも近づき、やわらかい部分にそっと触れることが起こりうる。そういう偶然が起こりうる。
それはそのひとが、この時まで生き続けてきたことへの肯定につながるし、これから先を生き続けていく希望にもなりうると思う。
登場人物にとっても、杉田監督の映画を観た多くのひとにとってもそうだと、わたしはつよく思う。



この『ひとつの歌』では、そのやわらかい部分へ触れる行いが『ひかりの歌』にくらべると痛みを伴うものだった。そしてその後、ふたりがどうなったのか、観客には知らされない。
だから観終わった後、なにかにさらされたまま、行き場のないまま放り出されたような気持ちになったのかもしれない。


その上でもうひとつ気になるのが、どうして動機や原因が描かれないのか。


わたしは日頃から「どうして?」とコミュニケーションのなかで投げかけることが多い。
でも、「どうして?」「実はね」のコミュニケーションで語られることが本当に真実だとは言えないよなぁと『ひとつの歌』を観てから改めて思う。
言葉にしてしまうことで、違う形に収まってしまう場合もある。それは聞き手だけじゃなく、話す本人にとっても。杉田監督は口から発せられる言葉に対して懐疑的なひと、なのかもしれない。
もしくは、映画を観るひとにとっては動機や原因を語られることで、劇中の出来事が他人事になってしまう可能性もある。それを避けたかったというのもありえるのかな...?
うーん、うーん、想像の範疇を出ない…。


わたしが「どうして?」と聞くのは、そのひと自身がなにを考え行動しているのか、そのひとのことを知っていきたいから(だと思っている)。
もちろん、何を話すかはそのひとの自由で、だから返答は「わからない」でも「答えたくない」でもかまわないとも常に思っている。


ただ、それを知るための方法は、まっすぐな言葉の投げかけだけではないのはたしかで。そして明らかにせずとも、ひととひとがそばにいることができるのもたしかなこと、そう、たしかなことなんです。



『ひとつの歌』は、明日11時からの上映が最後です。
そのあと13時半からは『ひかりの歌』の上映があります。どちらも東京都写真美術館にて。
観てほしいです、とても。



※写真は『ひとつの歌』の公式サイトより拝借しました。

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