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忘れられないあの子のこと
かなり昔のこと。
遠くに住む知り合いから「引越すので飼えなくなったから、飼い犬を山に捨てようと思うけれど、どう思う?」と電話で言われたことがある。
聞いたときは開いた口がふさがらなかった。
相手は切羽詰まった様子だったことは確か。
ご近所トラブルにより、今まで生活していた土地にはもう住みたくないので、家を処分して遠くへ引っ越すとのこと。引越し先は持ち家ではなく、犬が飼えないので犬の譲り先を決めていたのに、その相手にドタキャンされ、犬の行き場がなくなった、おとなしい犬で人に危害を加えることはない、山の中でなんとか生きのびるだろう、引越しまであと10日くらいしかないし、今さらもらってくれる人を探すあてもないから、山奥に捨てようと思うけれど、どう思う?…そんな内容の電話だった。
彼女のご近所トラブルについては、それまでもときどき聞かされることはあったものの…。
一般的にはご近所トラブルが原因で家を処分してまで引越すと言われたことの方に驚くのがフツーだとは思うものの…。
その時の私は「犬を捨てる」という発言の方に驚いた。
そして、彼女に対しては「犬を捨てるなんてありえない」ということしか言えなかった。
彼女とは仕事先で知り合い、けっこう長いつきあい。でも、おそらく彼女は私が無類の犬好きなことは知らなかったはず。
以前に「自分の子供を置いて家を出る」と相談されたときも、私はけっして強い口調では彼女を責めなかった。
その理由は、彼女が心の中でもう家を出ると固く決めているとわかったし、子供たちにはもう一人の親である父親がいる、と思ったから。
その後彼女は一年足らずで家へ戻り、平穏な日々を取り戻したはずだった。
ところが、今度はご近所トラブルが発生したということだったらしい。
自分が犬を捨てることの「うしろめたさ」を軽くするため、責めないであろう私という人間を選んで電話をしてきた、と感じた。
彼女の言い分は、愛犬を飼えない状態になってしまった自分がいちばんかわいそうであり、犬をもらってくれるはずの相手が突然ドタキャンしたのが許せない、というものだった。
相変わらず身勝手な人間だ、と感じた。
彼女がまだ独身の頃からの知り合いだったが、その後結婚してふたりの子供にも恵まれ、いろいろな経験も積んできたはず。
それなのに、この未熟さは何?とあきれたことは昨日のことのように覚えている。
私が「おとなしくても犬は犬。状況によっては人を襲うこともありうるし、飼い犬が突然山の中に放置されて、まともに生きられるとは思えない。捨てるなんてありえない」と答えたことで、彼女は完全に逆ギレ状態になった。
「じゃあ、mikelanさんが私の立場ならどうするんよ」ときつい口調で言われた。
私が「ギリギリまで、飼ってくれる人を探す」と答えると「それでも見つからなかったら?」と、まるで責め立てるような言い方。
いくら責め立てられても、当時の私の考え方はひとつのみ。
私は「期限ぎりぎりまでもらってくれる人を探すけれど、どうしても見つからなかった場合は保健所へ連れて言って処分してもらう」「それに…もう10日しかないではなく、まだ10日もあるじゃない」と答えた。
それに対する彼女の言葉は「保健所なんて、そんな残酷なことをよく言えるね」…だった。
その電話以降、一度も彼女とは連絡を取っていない。
彼女とは二度と関わりたくないと思った。
その思いはあれから20年以上経った今も変わらない。
経験上、ペットとして育った動物は人間の手助けなくしては天寿を全うするのは難しい、と思っている私は、彼女の言う「残酷なこと」しか言えなかった。
そう…。
確かに、私は残酷なことを言った。
今の時代だったら、保護犬里親制度も充実しているので、そういう方法を提案することができただろう。
当時はもらい手がいないのなら保健所へ…と言うしかない、そういう時代だった。
私が歩いて引き取りに行ける距離であれば…。
そしてまた、うちの家族が大の動物嫌いでなければ…。
ペットを飼うということは、その子の命をまるごと引き受けるということ。
当時の私は安易な気持ちでは「命を預かる」ことはできないと思っていたし、現在もそう思っている。高齢者になった今は、なおさらそう…。
あれからもう20数年以上。
天寿を全うできたとしてもあのときのワンコはもう生きてはいないけれど、もちろん一度も会ったことがない子だったけれど、今でもときどき思い出してはやりきれない気持ちになる。