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本当のこと

小学校6年生のとき、NHKのテレビ取材陣が学校に来た。
学校は源平の古戦場に近い場所にある。屋島の戦いで活躍した那須与一の出生地である栃木県の那須に咲いているというりんどうの花が、その出生地から我が小学校に贈られてきた。
その理由は微かな記憶を手繰り寄せると、那須与一つながりによって、その出生地と今でいう姉妹都市だか姉妹校だか知らないけれど、いわゆる友好関係になったことによるものだったはず。
取材の目的は、我が小学校がりんどうを受け取って在校生代表数人が花壇に植えるという式典を行うので、その様子を当時NHKの夕方の時間帯に放送されていた「こどもニュース」(正しい番組名は忘れた…)で放送するからだと教諭から聞かされた。

那須与一のことは授業で特別に習った記憶はないものの、生活圏のあちこちに源平合戦の史跡があるからか、扇の的のことも知っていた。でも彼が栃木県の生まれということはこのとき初めて知った。
大昔にこの辺で活躍したらしいという歴史上有名な扇の的の人が生まれた土地の人々と仲良くするって言われても、子供心としてはふ~んそうなんだ…くらいの受け止め方だった。
栃木と縁があるということを広く知らしめるための式典ということは理解できたけれど、こんな大仰なことをしなくてはいけないのかと思った。当時の私にはそれについての興味は湧かなかった。

式典では、段取り通りにりんどうが植えられ、在校生代表の中でさらに選ばれたひとりが(それは贈られたことへの謝辞だったのか、それとも先方とこれからさらに絆を深めていくという決意表明だったのか、関心がなかった私は全然覚えてもいないのだけれど…苦笑)形式的な言葉を述べ、厳粛な雰囲気の中、たっぷり時間をかけてつつがなく終了。
終わったときの私の感想は、こういう式典は大人にとっては大事なんだろうなあ…ということくらい。周りの同級生たちも先生から言われたようにそれぞれが動いておけばいいのだろう程度の反応だったように思う。当時のその小学校での指導方法は、もれなく上から児童を厳しく押さえつけるというもので、この学校ではそれ以外のやり方での指導を受けた記憶は私にはなく、卒業後に学校や教師に対して懐かしさのかけらも感じたことがない。それはその後進んだ近くの中学校も同様。転校生なので他県の学校も知っているが、私にとってはこの地の学校は異質というか異様だった(苦笑)

話が逸れた。

このセレモニーに関して先生方はけっこう興奮気味で、我々児童たちは夕方のテレビを見るようにと厳命された。
式典の内容自体に興味は抱かなかったものの、一大イベントという雰囲気はそれなりには感じていたので、放送は親と一緒に見た。
数時間前に自分がいた場所での式典の様子がたった数分間の出来事のように編集されて(当時、編集なんていう言葉は知らなかったが…)いた。
私は整列して式典を見守るその他大勢側だったので、植える作業にはそれなりに時間がかかるんだ、くらいにしか思わなかったし、放送を見たときは、放送時間は短いのに、けっこう時間がかかった出来事がこんなに要領よく簡単にまとめられるものなのか、と感心したことは覚えている。
テレビカメラ撮影を初めて見たわけではなかったと思うが、こういうときは、式典の重要項目である植える作業を任された生徒たちだけではなく、それを見守るその他大勢の生徒側にもカメラが向けられることを初めて知った。放送では、その他大勢組の一番前にいた自分(身長が低いため…笑)が、一瞬映った。
後日、母親が近所の人から「mikelanちゃんはおチビさんだからテレビに映れてよかったね」と言われたそうで、母が「わざわざチビって言わんでもええやろ」とかなり憤慨していたことの記憶が、実は私にとってはいちばん鮮やか(笑)
これについて私自身は、チビなんは事実やしなぁと思い、しかしテレビに映ってよかったとは思わなかった。映ってよかったという意味がそのときの私には理解できなかった。
いずれにしろ、あの日はニュースというものはこういうふうに作られるんだな、と単純にそういう感想を抱いた。

でもそれは…自分があの場で知りえたものが事実のすべてだと思っていたから。


それが事実だと言えないことを知ったのは数年後。成人前ではあったものの、もう子供ではない頃。
今は夫である小学校時代の同級生から実際に起こったことを聞いたとき、私は驚いた。

当時、代表に選ばれた数人の子供たちは、りんどうを指示された場所に指示されたとおりに植えた。ところがカメラマンから植える作業が撮影できていなかったので、もう一度植えるところからやり直すようにという指示が出たそう。子供たちは自分達が一度植えたものを自分達で抜き、その後、さも初めて植えるかのように作業をして式典が行われていったというのが本当の出来事だった。

日々膨大な情報を見聞きしている今の時代の子供達ならば、こういうことに出くわしても大して驚かない気がする。あ、これってNGシーン集で放送されるヤツねって軽く言いそうな気がする…。

しかし…。
これは半世紀以上も前の出来事。
近所のおばさんにほんの一瞬テレビに映っただけで、よかったねと嫌味付きで言われるくらい、また学校の先生も放送を見ろとしつこく言ったほど、NHKで放送されるものが、否、NHKだけでなく報道ニュースは正しいことを伝えていると信じられていた時代のこと…。

当時、夫は選ばれた代表数人の中にいた
私にはその数人の中に教室で隣に座っている男の子(笑)がいた記憶はあるものの、行事そのものに対する興味が浅かったからか、式典の記憶は自分に関することが主。
実は、代表のそのまた代表である、感謝だか決意だかを述べた子(総代表)は、もちろんその様子が映像で流れたものの、彼の名前が本人のものではなく、代表のひとりにすぎなかった私の隣席の男の子(つまり…夫)のものだったそう。
私はテレビは見たというのに、放送時に総代表の子が長く映っていた記憶はあっても、そのときに名前が違っていたとは気がつかなかった。


テレビで流れたものは本当にあったこととは少し違った。
夫にすれば、一度植えたのに映ってないからと抜くように言われ、もう一度植えさせられたことは(当然ながら)放送ではなかったことにされており、総代表のクラスメイトの映像に表記された名前が間違っていて、しかもそれは自分の名前。
あの時代の小学生には、それらはかなりの衝撃的な出来事。
夫は今でも報道に関する問題等々(誤情報など)が明らかになるたびに「こどもニュースの世界や…」と呟く(苦笑)


撮影ができなかったので抜いてやり直せというのは、相当に傲慢なこと。でもその式典をニュースとして放送する立場にある者にはそういう傲慢が許されるということに、子供時代の夫は理不尽を感じたのだろうし、どういう経緯があったのかはわからないけど、人の名前を間違えたまま放送し、訂正も謝罪もないままだったというのは不信感しか残らない。自分事ではないからか、私はまったく気がつかなかったが、名前を間違えられた当事者ふたりにとっては、けっしていい気持ではなかっただろうと想像する。
実際、翌日学校で夫はその総代表に謝ったんだそう。

そういう経験をした夫はニュースというものは信用できない、NHKだけでなくどこの報道機関だってそうなんだろうから、報道されるものを全面的には信じてはいけない、と子供心にそう思ったとか。

この出来事は、彼のその後の性格形成に非常に大きく影響していることを、間近にいる私は知っている。子供の生育に大きい影響を及ぼしてしまったNHKには非常に大きい責任がある、と私はそう思う(笑)

夫は、今でもニュースなんてものは、作り手の都合のいいように作られるものだ、と言っている。
当時、ニュースは実際にあったことをうまくまとめて作られるものなんだ、と単純に思った私も、今は作る側に都合がいい編集、意図的な編集がなされている、と思っている。


小学生の時に見たニュースが「事実」ではなかったということを大人になった私が知ってからしばらく経った頃。その頃の私はある業種メーカーの地方営業所勤務だった。
社員は男性3名と女性2名の小さな営業所。所長を含め男性社員は月初めの事務処理のとき以外は事務所にいることが少なく、かかってくる電話を受けるのはほぼ女子社員。電話は支店や取引先からがほとんどなので、外出中の社員宛ての電話であっても受けた者が用件を聞きメモしておく、また急ぎであればその社員をつかまえて(今みたいに携帯電話なんてなく、もちろんポケベルもない時代だったが、私は男性社員達からmikelanにはどこへ行っていても絶対つかまってしまう、と恐れられていたくらい、ほぼ彼らの動向パターンは把握していた…笑)連絡するのが常だった。

ある日の電話はいつもの人々と違った。
彼は、わが社と同業他社メーカーと取引のある業者名を名乗り、所長へ繋いでほしいとのこと。
所長は外出中だった。私は初めての相手であってもいつものように簡単に用件を聞き、戻り次第折り返しますと言うつもりだったが…。
所長は外出中だと告げられた相手が、いきなり用件どころか「要件」を一介の女子社員の私に語り始めた。
電話をかけることを決めるまでにいろいろ逡巡した時間が長かったのか、それとも切羽詰まる状況まで追い込まれていたのか…。
彼は話をしたい会社と電話が繋がったことで、一刻も早く用件を伝えたい様子。私にはそう思えた。

電話の彼は、自分は志を同じくする仲間5人の代表として電話していること、現在取引のあるメーカーに不満があるので、おたくの会社と取引したいのだと矢継ぎ早に言う。それを聞きながら私は素早く自分のするべきことを考えた。
所長の行先はわかっていた。
でもその場所からこういう用件で電話してきた相手に連絡できる状態ではないこともわかっていた私は、とりあえず相手の話す勢いが一瞬落ち着く瞬間を見計らい「お話の内容はわかりましたので、所長は不在ですが今事務所におります男性社員に代わります。少々お待ちいただけますか」とお伺いを立てた後、保留ボタンを押し、彼以上の早口でたまたま事務所に戻っていた男性社員に「所長に対しこういう方からこういう内容の電話が入っています。とりあえず代わってもらえますか?」とすべての内容を伝えた。
彼はわかったとすぐに電話を代わってくれた。

その後、程なくこの相当大きい案件は突然の電話をしてきた方やその仲間の方々の思う方向に動き始めた。
それは、当時の業界内ではそうそう頻繁にはないことだった(今でもたぶんそれなりに大きいことだろう…)

小さい営業所であっても、事務所には業界新聞や業界誌は最新版が必ず届けられる。私も自分の直接の業務には関係なくても、それらに目を通すのが常だった。
それらの情報誌に、その大きい案件のことが大きく載った。
この出来事は、最初にメーカー側(つまり私が勤めていた会社)が他社の取引先に仕掛けたようだ、と書かれていた。断定表現ではなかったものの、事実を知らない人はそう思うような書き方だった。



「事実」はひとつしかないけれど、「真実」は解釈の違いや受け取り方次第では違うものになるし、意図的な操作によって違うものにできるということを身をもって知ることができたことは、人生において幸い…たぶん(笑)



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