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どうして大家さんになった?②

結局、私のような

「バブル期に社会に出て苦労せずに就職先を探せた世代」は

仕事に対してちょっと甘い考えを持っちゃうんじゃないか、と。

仕事が大変ならば次を探せば良いじゃん、

仕事先なんていくらでもあるし、アルバイトで食い繋いでも十分やっていける、

そんな風な認識になっちゃっているんですね。


今は笑い話になってますが「24時間戦えますか?」って

あの頃は本気で皆んな思っていた気がします。

時代の空気だったのか、何か妙な高揚感があり、どこまでも行けるような、

そんな時代を自分たちが作っているんだ、みたいな気持ちですね。

「ジャパンアズNo.1」なんて本も

ベストセラーになったんじゃなかったかな?

あの時はそれなりに楽しかったんです。

今思うと笑っちゃうんですけど〜💦


で、工場の季節労働者として働き、

忙しい時は忙しいけれど休みはちゃんともらえ、

残業手当や交代手当もキチンと貰えてたし給料はあの頃としては十分でした。

そうやって条件の良いところで気が済むまで勤めて

イヤになったら「次行こう」ではキャリアを積める訳もないですよね。

そんなあたりに結婚することになり、

家事をしながらまた別のパートで収入を得てやり過ごしていたんですが、

この後まちづくり関係の市民活動を立ち上げることになりました。

古い建物の保存活動でした。

その後子育てをしながら約10年ほども続けることになります。

その市民活動が実り、解体の危機にあった

「東北大学片平キャンパス」の歴史ある建物群は

保存活用されることになりました。

よろす古い物好きの自分からすれば

「街の魅力ポイントである

片平キャンパスの建物を壊しちゃってどうするのよっ⁉︎」って

妙な正義感から始めた事でした。

今となっては自分の無謀な行動力と世間知らずから出た行動で、、、。

思い出す度、冷や汗が出るような思い出です。💦

もう少し続きます。

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