毎日発信を続けることで、何かが変わる
ここnoteでの毎日の発信が、少し前に1100日を超えた。自分には地道に何かを続けるなんて出来ないと思っていた。飽きっぽくて根気がない。だけどテーマを絞らず、毎日なにかしらの話題をネタにして書き続けた。それこそ「思いついたまま、勝手気ままな」内容でそれが3年以上の継続につながった。
大したことなど書いていない。日常で出会ったこと、これまで経験したこと。思いついたことや頭に浮かんだこと……等々。話題は多岐に渡るが、特に深い考察をしたりでもない。漫然とキーボードを打っているだけ、という感じだ。文章だってへたくそで、書き出した後に思わぬ着地点で終わった文章もあった(笑)
こうしてnoteという場を得て、毎日なにかしらを書くことは数年前には想像もしなかった。忙しく過ごしながら、日々目の前に流れていくことを特に気に留めず、その場その場でやり過ごしていただけだったと思う。
出会った事象について何かしらの気付きを得、それについて書くこと。漫然と日々をやり過ごすだけでは出来ないことだ。そしてその作業を3年以上毎日続けていたら、脳の可動域が広がったような気がする。
確証などないよ。だけど何となくだけど、これまでより頭の回転が早くなったような、物事に対して多角的な捉え方が出来るようになった気がするのよ。以前は何かイヤな事に出会うと、いつまでも気分が戻らなかったり周囲に不機嫌を撒き散らしていたように思う。←あ、これ現在の長女とそっくりだわ💦だけど最近、そんなことがめっきり減った実感がある。
手っ取り早く賢くなったり、人間性が変化したりなんて事はないと思う。継続した学びはどうしても必要で、その学習方法は今やどこか学校に通うという方法だけではない。集中的に一つのテーマをYouTubeで視聴したり、ネット上で学んだり図書館通いで読書や学習を続けるのも有意義だ。
だけど、動画の視聴や読書だけで有効な学習になるかと言うと、どうもそうでは無さそうなのだね。学んだ事や覚えた事を(紙の)ノートに書いたり、なんらかのカタチで表現する事はどうしても必要なようだ。
覚えたと思っている事でも、書いてみると実はちゃんと覚えてなくて、曖昧だったりする。書いて、特にそれを一般に公開するという事で緊張感を持って臨むようになる。これって格段に記憶に残り、腹落ちに繋がることになるんじゃないかな?
「何かが変わる」って何がどう変わるのか?具体的には分からないけど、でも確かに自分の中で何かが変化し、以前より良くなって来ている。
それは何よりも自分自身が一番よく分かっている。
↓彫刻を施したアメシストを中心に、銀細工の凝った装飾を施しました。ボリュームのある帯留は和装を引き立てます。