挨拶と返事会釈、お礼の言葉 必要な事を口に出して言わない(言えない)人の事など
とある方が「挨拶が出来ない人は返事やお礼の言葉も言えない」ってことを書いていた。読んでいて確かにそうだな、と自分の実体験も合わせてこれまでの記憶が蘇って来た。
ある時、自分所有の賃貸物件が、とある福祉関係の団体との契約になっていた事がある。そこには主に年齢が若く、これから社会に出ようとする人が入居していた。用があって共用部分に立ち入った事があったのだけど、顔を合わせた入居者さんが、目を合わせたのに挨拶するでも会釈するでもなかった事にすごい違和感を感じた。(こっちからは「こんにちは❣️」って声かけたのに)福祉を受けて生活する人だからつまりは、それまで何か生きて来た過程でなんらかの困難があった人なのだろう。親の療育を受けられなかったとか、そんな感じで。
また、同じマンションで時々エレベーターで一緒になる、30代位の男性がいるのだがこの人も挨拶しても一切返事が返って来ない。エレベーターと言う狭い空間内で一言の挨拶も、笑顔もないのは何ともギクシャクするが、その男性は別にそんな事を考えもしないのだろう。いつも不機嫌な顔で挨拶しない会釈もしないのがデフォルトなのだろうね。自分が挨拶を返さないことで、何かを頑なに守っている?周囲に敵意を持っている?よく分からないなぁ。
我が家では子どもたちに、挨拶とお礼の言葉と返事はやかましく言って躾た覚えはある。朝のおはようの挨拶や、ちょっとした事でも相手にしてもらったらありがとうの言葉、呼ばれたり聞かれたことがあったら頷くだけでなく、キチンと言葉で返事をする事。自分には極当たり前の事だったが、世の中にはそれが身に付いていない人も多数いる事を知った。
結局そう言う人って、子どもの頃からそう言った習慣が身に付いていないのだろう。育った環境や親の躾が行き届かなかった事が原因なのかと思ったりする。
挨拶をしたり、顔を合わせた人とちょっとした会話を交わしたり。自分にとっては常識となっている事が、他の人に取っては当然ではなかったりと言う事を経験すると、その人がどんな環境で育ったのかを想像してしまう。
ひとつ確実に言えることは、挨拶や返事やお礼の言葉を言えない、返せない人とはまともに他人との関係を築けない、と言う事だ。そう言う相手とは、知り合った初期の段階で「ああ、この人とは友だちにも仕事の関係者にもなれない。(なりたくない)」と判断する。自分が嫌な思いをしたり、何か損害を被ったりしたくないならそれは徹底した方いい。仕事の関係で選びようがない場合もあるけれど。
人間なんだからさ、言葉をコミュニケーション手段として発達させて来たんだからさ、そして共通言語として日本語が使えるんだから、言葉に出して挨拶くらいしないかなぁ。言わなくても分かる、とか挨拶なんてする必要ない、とか思ってるのかなぁ?
逆にさ、返事だけ良い人が信用ならないってことも経験上分かってる。挨拶と返事がやたらに良い。そして更に軽くおべっかまで言う。そんな相手は信頼するに足りない。いつかいい加減に誤魔化したり適当に流して、後のトラブルになったりするのだ。(以前、民泊清掃の手伝いに入っていた人ね。大事になる前に自分から辞めてくれて助かったワ)
まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」であるね〜💦
↓和の骨董好きなら一つは持っていたい、繊細な伊万里の花唐草の皿。どこに出しても恥ずかしくない、一品と言える品物です。