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ロッキングオンの渋谷氏の病気療養とCheap Trickってロックバンドのこと

高校生の終わり頃だったか、当時人気のロックバンドの「チープトリック」の仙台公演があったので、チケット取って観に行った。前から10列目(結構前の方)だった。

ヒット曲も数曲あったし、当時FMで良く曲はかかっていた。気軽に聴けるキャッチーなロックって感じだった。曲は耳にしていたけど、結局アルバムもシングルも買ってない。しかしメンバー4人がなんとも印象的なルックスをしていて面白かったのだ。

4人のメンバーの印象的なルックスって、今思うとすごくマンガみたいに妙な組み合わせのメンバーだったな。

ヴォーカルとベーシストはどっちもカッコ良いイケメンだった。片方はサラサラ金髪のロビン、もう片方はパーマのかかったロン毛のトム。だけど(多分バンドのリーダーだった)ギターを弾いていた兄ちゃん(笑)がカメラに向かっていつもまん丸く目をむいているような表情でふざけていたし、ドラムスを担当していた人がまるで、芋洗坂係長のようなルックスだったんだよね。丸メガネにちょび髭で小太り。これは何かの冗談でコミックバンドか何か?と思わせる4人だったよ。

確かそのルックスの個性と、軽く聴けるメロディアスなロックが受けて、アメリカのバンドだったけど、日本で最初に人気に火がついたんではなかったかな?

みけ子が洋楽ロックに目覚めた頃は、ロックって不良が聴く音楽だったんだよ。今考えると全く笑っちゃう認識だったけど、当時はマジな話だったんだよね。中学の頃、クラスでロックを聴くヤツは総じて変わった人間で、先生から目を付けられるような生徒ばかりだった(気もする、勘違いかも)。そして給食時の校内放送で「ロックは流しちゃダメ」なんて言われていたんだよね、みけ子の中学校では。

確かにその頃人気があったバンドはZeppelin にストーンズにクイーン、あとはELPとかのプログレバンドだったかな。ステージのファッションも激しい曲調も、どっから見ても品行方正ではなかったよ。歌われていた歌詞も、既存の価値観をぶっ壊せ❗️のような内容だった。だから当時の親や教師たちに目の敵にされるのも(今考えれば)無理もない。

だけどそのうち、ロックって音楽が広く世の中に浸透して来て、音楽としてポピュラーになった。音楽としての受け入れられ方も変わって来た。リズミカルなビートと覚えやすいメロディ。それはコマーシャリズムに席巻されていた当時の世の中の風潮にぴったりと重なり合ったのではなかったか。

今聞いても、ヒットしたチープトリックの曲は、覚えやすく口ずさみたくなるようなメロディだ。一般ウケして人気が出るのも頷ける。

当時の洋楽ロックの人気に火をつけた立役者の一つが、ロッキングオンという音楽雑誌だったかと思う。D Jとしても人気だった渋谷陽一氏が創刊した、先進的な音楽雑誌だった。当時みけ子は夢中になってそのロッキングオンを読み耽ったよ。

その先進的な音楽誌である、ロッキングオン誌の創業者で現在も社長の渋谷陽一氏が現在病気で療養中だという。確かみけ子のちょうど10歳年上だったから72歳じゃないか。療養中で仕事の一線から退いていることから考えて、回復が難しい状態……?(あくまで想像です)当時D Jとして選び、流していた音楽や雑誌に大きな影響を受けた人間の一人として、どうか回復・復帰して欲しいと心から思う❣️

自分の10代初頭〜後半の人格形成期で、影響が多大だったロックミュージック。その中でもロッキングオン誌に取り上げられるミュージシャンたちは、リアルではなかったけれど自分にとって「もう一人の友人」のような存在だったかも知れない。

その頃耳にしていた音楽。それが今も頭の中をぐるぐる駆け回る感じがしている。その頃から自分は、何かを思い込むと考えが突っ走ってしまう方だった。それが決して最良とは思っていないが、マジョリティを良しとしない在り方は現在も全く変わらない。そんな自分もすでに60オーバーだ。

渋谷氏の病気治療のニュースから色々思い出した当時のことを、つらつらと書いてみた。






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櫻井みけ子久美
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