市民活動をやっていた時の話/思い出すのもイヤな人 その5
さて〜このシリーズもその5まで来ました、多分最終回。人の悪口は楽しい(笑)でも思い出すとイライラすることも山ほどあるね。
まぁ、かなり昔のことであるし自分が嫌な思いをしたと同じかそれ以上に、自分も人に嫌な思いをさせてたってのはきっと、いや絶対あるわ。
市民活動をしていて、最初から最後まで中心メンバーにいて活動にも熱心に取り組んでいた方で、やや年配の男性がいた。藤原孝さん(仮名)だ。白髪頭の穏やかな雰囲気の方で、団体の様々な作業にはいつも率先して参加してくれ人手が足りない市民活動団体では頼りになる助っ人であった。
ただこの方、思い込みが激しくて市民活動に対する理解度もイマイチ。話し合いの場になると、議論が進んで纏まりそうになった時でも議論を引き戻したり見当違いの意見を出してまた話し合いが最初からやり直しになったりとかが多々あった。
熱心に参加してくれるのも協力してくれるのも良い。だけど団体の活動目的や主旨はしっかり理解してくれないと辛いものがあるなぁ。
団体のスタッフミーティングではみけ子が中心になって話し合いをすることが多く、この「話の流れや主旨をあまり理解しない人」が自分にとっては困った厄介な存在であった。そういう人の話も取り込みながらうまく結論まで持っていくのはどうしたら良いのか。経験が浅い自分のような人間にはそれはとても難しいことだった。
今思うと、その場にいて意見のやり取りに参加している人の発言は、どのような発言であっても尊重すべきだし、それが結局は良い議論のための基本中の基本なんだけど、当時のみけ子にはそんな風に話し合いの流れをうまく交通整理するだけのスキルはなかったんだね。
そんな状態を繰り返すうちに自分にとっては、その藤原氏は「議論に邪魔な意見ばかり言う困った人」との認識になってしまった。そして当の藤原氏にとっては「自分が真面目に考えて発言してもきちんと取り合ってくれない人」とお互いに反目しあうような仲になっちゃった。
まぁこれは本当に自分の理解や力量不足から生じたもので、今となってはあの時の自分のやり方の不味さを恥入るばかりだ。
市民活動では「熱心ではあるけれど困った人」でも参加の意思のある人を排除する事は出来ない。
その頃は団体内部の組織運営はともかくとして、対外的にマスコミ取材での対応や行政とのやり取り、大学との関係もまずまず順調で、一般市民への活動意義も広がって来ていた。機関誌の評判も良かったのでそんな状態でも特に問題だとは思っていなかった。
ただ、みけ子が団体を一緒に立ち上げたもう一人の中心メンバーが団体から抜けてしまうと団体運営はギクシャクが表立ってしまう。みけ子よりコミュ力の高い彼女は、メンバーの調整役を上手く務めていたのだ。
私にとっては団体の内部調整より、まずは活動を対外的にアピールする事が最優先だった。建物の保存は待ったナシであるし、そのことが社会に浸透しなければ活動に取り組み始めた意味はないのだ。
ただ、今思えば対外的な建物保存のアピールはそれは確かに重要だけれど、団体として動いている事なのだからメンバーそれぞれの思いや一緒に楽しみたい、何かを共に作り上げたい、というような思いを大切にしないといけなかったかと思う。ま、あくまで今になってやっと気づくことだけどさ。
独断専行になりがちなリーダーと、ついて行けないその他のメンバー達の間の亀裂はどんどん広がり、決定的な決裂を生んでしまう事になっちゃった。
あの頃の自分の力量ではやはり仕方がなかったと思う。
私はその後、自分で立ち上げたその団体から抜け、別な団体を立ち上げた。その市民活動団体はストレートに「貴重な歴史的建物群を守るために市民が募金活動をする」というものだ。
こちらは正にど直球に「建物保存」の活動であり、少数精鋭で目的を達成するために活動内容も絞って、世の中への建物保存の重要性のアピールとそのための募金活動のみを実施した。
緩く楽しく、やりたい時だけ活動に参加したいメンバーたちと、明確な目的があって意を決して団体を立ち上げたリーダー。その間には恐ろしいばかりの意識の差がある。目的一辺倒でも上手く回らないし、ゆる〜く楽しくばかりでは目的にたどり着かない。そのバランスを上手く取れる役割の分担やきめ細かい配慮のある企画が必要だ。だけど市民活動団体にそんなに上手く団体を組織運営していけるノウハウを持っている人などほぼ居ないのだ。
その様な困難な事情などまるで理解せず、勢いだけで飛び込んでしまった事を後悔する事もある。未だに街中でかつての市民活動仲間にバッタリ会うのはイヤだなぁと思うし。(まず会わないけど (笑))当時私と関わりのあった人たちもみけ子のことを良くは思っていないだろう。
ま、でもそれはそれで良いのだ。自分が良いと思って飛び込んだ事だ。途中で鬱になり心療内科でデパスを処方されてしばらく飲んでいたとかもあったけど、それも既に過去の話だしね。
この団体を抜けた後に結成した市民活動団体は2〜3年活動した後、当初の目的を達成したので寄付金は大学に全て寄付した。集まった金額は建物保存に役立ててもらうことになった。決算報告も掲載したまとめの報告書を作って関係各所に配布した。結成から団体のクローズまでひとまずしっかりやれる事はやったので、まずは合格点なのかな、と自分では思っている。途中鬱状態になって勢いが落ちたんで消化不良感は残ったけどね。多分もう二度と再び、市民活動団体の運営に関わったりしないだろう、と思っている。
結局、市民活動をやっていて「思い出すのもイヤな人」の筆頭は、何かやる度に周囲とぶつかって、それでも正しいと思って突っ走り、ゴタゴタを起こしては人間関係を滅茶苦茶にしていた、当時の自分に他ならなかったよ(爆)
それと私が最初の市民活動を抜けてしばらく経った頃、近所を自転車で走っていたら脇道から一時停止せずに出てきた車に危うく轢かれそうになったの!その車を運転していたのは、何とその反目し合ってた藤原さんだった。あっぶね〜💢
私が立ち上げたあの市民活動団体は、私が抜けた後に解散したのがいつだったのか、建物の保存が決定した後だったのか前だったのか。その辺りも実はもうよく分からないわ。
サポートをいただけるならば、それはそれは大感激です❣️毎日発信を続けることが、自分の基礎トレーニングだと思っています。サポートを励みに発信を続けます💓