見出し画像

正しく適正量の欲望が人生を活性化する

人間、誰しも欲望がある。欲望があるからこその人間だ。

「あれが欲しい」
「これをやりたい」
「あれを食べてみたい」
「今度はあそこに行ってみたい」
「あの人と恋仲になりたい」

脳の中はいつもこんな感じで動いているんじゃなかろうか。少なくともみけ子はいつもこんな感じだよ(笑)最後の「恋仲」のくだりを除いてね(^◇^;)

聖人君子じゃないんだし、それって当たり前だと思うんだけど違うかな?

自分は昭和30年代半ばの生まれで、小さい頃の写真などを見るとまだ戦後の雰囲気の残る街で、戦後の雰囲気の服を着て結構粗末なものを食べて暮らしていた感じだ。世の中は高度経済成長の時代で、国民全体が「もっと、もっと」と思っていたのではないか?

今は狭い家に住んでいるけれど、お金を貯めて立派なマイホームに住むんだ、と決意したり、そのために頑張って働き貯金に励んだり。お休みの日には街のデパートに行って家族で買い物や食事。そんな時その当時の子どもは、お出かけのよそ行き服に白いタイツ、帽子を被ってちょっと気取った感じで出掛けていたよ。

デパートの食堂で、ナポリタンやソフトクリーム、ホットケーキを食べるのがすごく贅沢で、うれしい休日の行事だった。屋上遊園の十円玉を入れると短時間動く遊具に乗せてもらって、とても楽しかった。

ちょっと頑張ればすぐに手の届く贅沢や幸せ。そんなものが世の中に満ちていた。今度お給料をもらったら……今年の夏休みには……。そう考えて庶民は日々暮らしていたと思う。そのためには毎日の生活は贅沢をせず、地道に貯金に励む。ちょっとずつだけど、毎月増えていく貯金額にワクワクしたり。欲しいものの先取りで「月賦で高級消費財を買う」ことが一般的になったのもこの頃かと思う。

こんな昭和の好景気時代の恩恵を一身に受けたのが、みけ子の親世代だった。考えてみれば、ちょっと頑張れば手に入れたいものがそこにあるって、本当に幸せなことだったかも知れないね。

もう2人とも亡くなってしまったが、みけ子の両親は戦後あたりに社会人になって好景気と日本が復興・発展して行く様をリアルタイムで体験してきた、本当に幸せな世代だったと思うのだ。公務員だった父は毎年の給料アップで年度初めに遡っての計算し直しで「ボーナスが年3回支給されたみたいだった」とよく言っていた。そんな体験をしてきた人たちなので、お金が入れば散財するということの繰り返しだった。だから老いて死ぬ間際は介護費用の蓄えが足りなくなって、世話する自分たちはだいぶ大変な思いをしちゃったんだけどね。

それに比べると、現在の日本の状況はどうだ。働いても収入は増えないし、物価上昇が止まらない。ちょっと稼ぐと税金や社会保障費で半分近くを持っていかれる。貯金なんか出来ず結婚さえもすでに贅沢品になりつつある。現代日本、これからどこへ向かって行くの?真面目に働いても余裕がないってどうよ?いい加減にして欲しいわ💢

みけ子のダンナは、割とのほほんと生きている人だったので好景気の時もほぼその恩恵を受けず、いつもカツカツで生活してきた。自分もパートやらアルバイトでその場しのぎのキャリアしか積んでこなかったので、人のことは言えないんだが。

人一倍「あれがしたい、これがしたい」気持ちが大きかった自分なので「だったらどうしよう?」と自分なりに考えて試行錯誤してきた。その経験が自分を成長させ、多少なりとも昔に比べるとマシな状態になれたとは思う。

過剰な欲望は理性を見失わせ人を滅ぼしちゃうけれど、法の範囲内で適度な欲望をうまく活用すれば、人生は比較的順調に流れて行くんではないかな?

つまりはちょっとの不足感。言い換えれば適度なハングリー精神が向上心というエネルギーになって、ちょうど良いのかも知れない、とか思った。




仙台浪漫 セール開催中です‼️ 9月1日〜9月30日まで
ほぼ全品がセール対象商品です。気になるお品物がある方は早めにチェックしてみて下さいね💖↓




サポートをいただけるならば、それはそれは大感激です❣️毎日発信を続けることが、自分の基礎トレーニングだと思っています。サポートを励みに発信を続けます💓