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文章を綴る。文に表れるモノは隠しようもない💦(さりげなくnote執筆のススメ)

こうして毎日noteに文章を書いていて、本当にそう思うのよ。

頭の良し悪し、その人の感性、価値観、生き方。

もうね、その全てが文章に表れる。誤魔化しようも隠しようもない。全てがあからさまになる。全く恥ずかしい。

そして毎日こうしてここに、「人様が自由に読める」場所に公開している。全く本当に、どうしようもなく恥ずかしい💦穴があったら入りたい。

なのにどうして、このnoteに毎日文章を書いて公開しているのか。

それは

「恥ずかしさ」を乗り越えても、得るものが大きいから」

なのだ。

一つの文章を綴るのに、いつもは働きの悪い頭脳を駆使する。悩む、考える、そしてまた悩む。題材を何にするか、それはここにかいて公開するに相応しい話題なのか。読んで傷ついたり不快に思ったりする人はいないか。自分や家族が不要に危険な目に遭ったりしないか……。そして読む価値のある文章なのか。読んだ人に「なぁんだ、つまんないの。読んでソンした❗️」なんて思われないか。

もうね、脳みそフル回転よ。歩いている時、働いている時、眠りにつく前やトイレの中(笑)。常に脳は様々なことを考え、気づき、想像するのよ。

みけ子は発達障害であり(自己判断だけどほぼ間違いない。親とそのまた親を見てきてもそう断言せざるを得ない、生粋?の発達障害だ)その事実は偽る事も出来ない事だ。これまでありとあらゆる失敗やミスを繰り返し、自分を嫌いになったり、自己肯定感がダダ下がりしたり、人間関係を悪化させたり鬱状態になったり……を繰り返して来た。

そんな自分がそのまま「ありの〜ままに〜♬」生きてきたら、最後は孤独のうちに、周囲から疎まれ嫌われて、生まれて来たことを呪いながら貧しく死んでゆく。そんな人生になってしまうことは明白である。じいちゃん(みけ子の父)もそのまたばぁちゃん(父の母)もそんな感じの人だったよ。身体だけは丈夫だったから最後は認知症になりつつ、そんな状態でも死ねない。これは何かの罰なのか?と思うような最後を遂げることはハッキリしている。

そんな自分をどうしても変えたかった。自分を好きになりたかったし、幸せで満たされた気持ちで生きたかった。

これまでありとあらゆる事に手を出して来て、現在数足のわらじを履いて生きているのも、そんな試行錯誤の表れなのだ。その試みが全て上手くいくはずもなく、途中で投げ出したことも数知れず。だけど生きることを途中でやめるわけにもいかず、ここまでどうにか生き延びた。

その試行錯誤の中で、多分唯一「これは絶対にやって良かった❣️」と思えるのが、この「毎日文章を綴って公開する」という事だった。多少の時間は掛かるけれど、これまでこんなに自分を改善するために効果があったことはない。それはもう自信を持って言えることだ。

だからね、下らなくてもいい、内容がなくてもいい、つまらなくても書いていて自分で大丈夫か?と思ってもいい。論旨が多少破綻してたって誤字脱字変換ミスも(出来るだけ減らすようには心がけているけど)あったって構わない。

試行錯誤は試行錯誤のまま、そのまま公開する。その時の自分が綴れる(考える)精一杯がその文章には書かれているのだから。読み返して恥ずかしく、どうしてこんな事書いちゃったの〜(T . T)ってことも実は頻繁にはあるんだけど。

でもね、書いて読み返して考えて。過去を振り返り、本当はあの時どうするのが一番良かったのか?と思い巡らす。その内省する時間が人には必要だ。内省のない人間に発展も成長もない。

その思い悩み、それでも日々を「今日も良い一日だった」と思って床に就く。そんな毎日がとても愛おしいと思うのだ。



↓小ぶりのガラスシェードが、そこに灯すだけで部屋の雰囲気を趣深いものに変えます。キレイなカットガラスの天井等です。


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櫻井みけ子久美
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