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思い起こせばあの頃、書くことでかろうじて精神的な安定を得ていたんだと思う

好きなものはとことん好きだけど、イヤなモノはどうしようもなくイヤ。そんな妥協のない性格で周囲とギクシャクしがちだった。

今は少しは周囲との折り合いの付け方が分かったけど、あの頃は柔軟性もなくて経験も浅く、普通に生きていくのにだいぶ難儀した。生まれ持った性格とか生育歴とか、その頃の自分ではどうしようもなかったと思うわ。

そんな自分を何とかしようと、手当たり次第に参考になりそうな本を読み漁った。本を読み考えること。その頃の自分にはそうするしか現状を打破する方法が分からなかった。

一人で本を読み、考える時間がたっぷり必要だった。周囲の人とは何だか考え方や行動が違う。孤立しがちな自分。これからどうするか、どうやって生きて行くか。

幸いな事に、あの頃はまだ日本は景気が良くて贅沢をしなければ適当にアルバイト程度で食い繋ぐことは出来た。自分がこれまでやって来たことで、イヤだったことや傷ついた経験。どうも自分はそんな事を忘れられず、いつまで頭の中でぐるぐる考え続けてしまうところがあった。つまりは考えを切り替えるのがヘタクソだったのだ。

イヤだったことなら、さっさと考えを切り替えて忘れてしまった方が得策だ。今ならそれは分かるが当時の自分には難しい事だった。

ぐるぐるといつまでも終わってしまったことに意識を持って行かれる自分。何とか切り替えたくて始めたのが書くことだったと思う。文具店で目についた、ちょっと洒落た感じのノートに自分の思いを書きつけた。書いても書いても整理出来ない思いが溢れた。

自分中心に心の中の狭い範囲のことを勝手に書きつけていただけだから、その思いを伸ばしていって「何か書くということを職業にできないか?」みたいなことは全然考えなかった。自分にはオリジナルのストーリーを綴る「小説や創作」って方向は全く才能はなさそうだったし。

書く事によって気持ちのバランスを取っていた。文章としてちゃんとしてなかったし、人に読んでもらうような文章でもない。自分の中から溢れ出る気持ちをただ書き殴っていただけだ。

そんな風に、書いて気持ちを吐き出すことでどうにか人としての均衡を保っていたように思う。

自分が20代だった、遠い昔の頃のこと。





↓目にするだけで涼しげな、雪の積もる竹林とタケノコを絵にした豆皿。手のひらに収まる小さな芸術品です。




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櫻井みけ子久美
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