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ファッション化するお弁当のこと

先日、ものすごく久しぶりでお弁当作り生活をしている話をnote記事にした。

割合、たくさんの方に読んでいただき、スキ💖も頂戴して、ありがたい限りだ。

その記事を投稿後にFBに紹介したら、こんなコメントをいただいた。

私もそう考えている一人。「食べられればいいじゃん?」って思う(爆)みけ子からすると、人様の作るお弁当はアメイジング❣️って気持ちしかない。心から感心・尊敬する。朝早くからおかずの内容を考え、調理して過不足なくお弁当箱に詰める。それを短時間で済ませるなんて芸当は、みけ子には絶対無理❗️無理無理無理‼️だって毎日の夕ご飯だって「大鍋にカレー(豚汁、煮物、パスタ、焼きそば、炒め物、等)」を作ったらおしまい、の人だからさ💦

いっぺんに煮たり焼いたり、限られた容量のお弁当箱に彩よく詰めたりって作業は、(発達障害の)自分にはどうしても無理なのだ。頑張ってはいるけれど、とにかく混乱するし、用意した物が足りなかったり多すぎたりなんてしょっちゅうだ。買い物する時も「お弁当箱に詰めるのに、ふりかけはあった方がいい。それとプチトマトも無くなりそうだから買い足すか」とか常にお弁当のことが頭から離れない。つまりはお弁当に頭の中をハックされている状態、なのだ。それだけ自分にとっては、お弁当作りって負担が重い○| ̄|_。出来たらやりたくないのよ〜○| ̄|_

こんなシンプル&単純なお弁当しか作れません💦

キレイに栄養バランスも分量も適切に調節出来て、楽しんで、負担なく作れるならばそれが理想だけれど、それって多分に作る人それぞれの力量が関わってくると思うのよねぇ。自分には決定的にその「力量」が不足している。あまり好きでもないし、必要だからやってるだけ。出来たら早く解放されたいわ。

みけ子がお弁当を作るスタンスは

作って「あげて」いる 

体調が悪いとか特別な理由もなく残さない 

空のお弁当箱は自分で洗う


の3点である。この3点がクリアにならないと、自分はわざわざお弁当など作らないわ。

作って「あげて」いる、に関しては、いきなり上から目線なのだけど、食べたくないなら別に作らないってこと。自分で何とか出来るならばそうして欲しいと思う。ただ今は、仕事のやり始めで毎日の生活に慣れていないことと、経済的な理由からのお弁当生活なのだよ。それに自分はちょっと協力しているだけなのね。一応、好みのおかずやご飯の分量などは希望を聞いているし、これまでよりかなり早起きしてお弁当を作っていることもある。その点を考えて欲しいってことだ。だから残してこられたらもう次はないし、食べられなかったのなら自分で片付けて欲しいと思うわ。

見栄えのするキレイなお弁当を作るのが好きで、自分が進んでやれる人はいい。だけど自分はそんなの実はどうでも良いと思っている。見栄えのするお弁当は作ってもらった方はうれしいだろう。周囲からも感心され、褒められ、羨ましがられる。大変結構なことだ。

例えばハレの日の重箱に詰めたお弁当など。これは特別な日の特別なご馳走だからそれは素晴らしい。だけど自分には作れないし、作ったってことで満足を得られるならばそれも良いが、ただ負担に思うだけなのでやるつもりは無いんだよね。

食べること。ただ毎日淡々と食べられることに感謝しつつ、日々の食事をすること。ハレの日の特別感がある重箱詰めのお弁当もいい。だけどそんな特別に見栄えのするお弁当を自分は作るつもりはない。自分にはもっと好きなことも、やらなければならないこともある。お弁当作りに情熱を傾ける余裕も気持ちもない。

そんな考えのみけ子である。



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