
お盆には魂が帰って来るって言うけど
みけ子の両親はどこに帰って来るんだろう?
両親の墓は縁もゆかりもない千葉県にある。亡くなったのは、両親とも仙台市内の介護施設や病院だ。
亡くなった時の住民票は現在のみけ子の家になっていたはずだ。だけど特に母みけなどは、この住所に一度も住んだ事は無いのだ。以前住んでいた場所から施設に直接入所してしまったから。
車椅子生活で要介護3。糖尿病の持病もある肥満体。介護を受け持つみけ子は大変だった。毎日の決まった時間の食事と食事内容の管理。そしてデイサービスで使う着替えやタオル類の洗濯もある。夜は何度もトイレ介助で起こされてしまい、十分な睡眠など取れた試しがなかった。時々ある泊まりのショートステイが唯一の息抜きだった。
そして、父も認知症になった。みけ子はその当時は毎日パート仕事をしていたし、毎日認知症の父をずっと見守る訳にも行かない。目が行き届かない時に、家からさまよい出て、警察のご厄介になったことも1度や2度ではなかった。
両親2人とも同時期の要介護で、その当時のみけ子は十分な睡眠も取れないし、蓄えがなかった両親の介護費用もどうしようかと悩みの種だった。そんな年月を過ごした後、両親とも結局病院や介護施設で看取られた。
葬儀が仙台で行われた後は、両親とも東京在住の兄にお骨は引き取られた。
それで長男である兄が準備した、千葉県某所に両親は埋葬された。みけ子が墓参りに行ったのは、結局母の納骨時のたった1度だけである。
そのたった1度の墓参から早数年。土地勘のない千葉県の墓所の場所を自分はちゃんと覚えていない。いつかまた墓参りに行くこともあるかとは思うが、今すぐに行きたいとは思わない。亡くなった人より、今生きて暮らしている自分たちの方が大事だ。
そんないきさつで墓所は千葉県だし、亡くなる時の住民票住所は特に母など一度も住んだことがない。東京の兄の家にも両親は住んだことはない。無宗教の葬儀で位牌も戒名もない。兄のところに仏壇があるかどうかも知らない。みけ子の家には両親の小さな写真は飾ってはあるけど、線香1本立てたこともない。バチ当たりって言えばそうだが、亡くなる前の数年間は、両親にはだいぶ大変な思いをさせられた。みけ子はいまだに両親のことを懐かしく思い出したり出来ない。
こんな時、お盆で帰って来る魂があると言っても一体どこに帰って来るのだろうね?
↓透明な切子風の模様のガラスボウルです。そうめんを盛ったり、夏に大活躍のうつわを是非♬
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