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介護ってやりたくてやる人はほぼいないだろうし、要介護にもなりたくないけど

実父母の介護から解放されて、丸3年たった。最後の頃は介護施設に入ってもらっていたから、それまでのような大変な状況ではなかったが「要介護の親がいる」という事は、気持ち的にはかなり自分の負担にはなっていた。

だから実両親の介護が完全に終わった時は、心の底から肩の荷を完全に下ろした気分だった。(だけどまだ、義母が健在でいつまたどういう形で介護が降りかかって来るかは分からないんだけどね)

要介護になってしまう人もツライし、介護を負わなくてはならなくなるのも大変な事だ。自分は要介護になりたくない、と思っても年齢を重ねると自分もどうなるかは分からない。

運動習慣や健康的な食事、周囲の人との関係。これらはある程度、自分のやり方次第で介護予防に繋がる事だ。でもいくら気をつけていても、それで完璧な訳ではない。そして大事なお金の事。準備をしようと思っていても、みけ子の場合などこれまで生活するのに精一杯で、準備などまるで出来ていないよ。

自分の両親の介護真っ只中の頃に、当事者として色々考えていた。結局要介護にならないためにはどうすれば良かったのだろう。両親は「子どもたちに迷惑をかけたくない」とは口癖のように言っていた。でも母などは、肥満体で高血圧、50代半ばには糖尿病も患っていた。そのまま行けば要介護になるのは明らかだったけど、迷惑をかけたくないと言っていた割には、そのための予防について考えたり実行している感じはなかった。

結局母は、62歳で脳梗塞で倒れてしまいその後は死ぬまで左半身麻痺で、最後は要介護4だった。亡くなったのは80代後半だったよ。25年以上の要介護人生。本人は不自由な身体で辛かったとは思うが、身近にいた父や娘の私も大変だった。長い要介護の末に亡くなった後は、悲しいなどという感情は微塵もなく、ただひたすらホッとしただけだったよ。

長い要介護期間の果てに逝った両親だが、結局「自分が歳をとって身体が不自由になってしまわないようにするには、どうすべきだったのか。もしそうなった時はどのように暮らしていくのか」をきちんと調べたり想像していなかったことに問題があったのだと思う。(かといって、みけ子もちゃんと調べてきちんとしたイメージを持って未来を予測しているか?と言えば全くそんな事はないんだけど💦)

現代のように、ネットで調べれば大抵のことがわかる時代でもなかった。年金についても、長年払ったから十分な金額の年金が支給されるのだ、と思い込んでいたみたいだ。実は父は公務員で、年金事務所に長く勤めていて自分は年金に関しては専門家だし詳しい、と思っていた部分も大きかった。その後の世の中の変化の早さは想像以上で、何より両親が結局は2人とも要介護になって、介護のために年金を全て注ぎ込んでも足りなくなってしまうなんて予想すらしていなかっただろうけど。

人のことはあれこれ言うけど、自分も先の事は分からないし今考えてるやり方で、死ぬまで無事にやって行けるかも、全然分からないんだけどね。とにかく世の中の変化が激し過ぎるのよ。勉強しても調べても、すぐその情報は古くなってしまう。「年金の繰下げ支給は絶対選んじゃダメ」とか言ってる動画も多数出てるよね。

……要介護の両親のこととか年金のこと。何とも取り留めのない文章になってしまって申し訳ない。3年前の11月初旬の木枯らしが吹く頃に、枯れたセイタカアワダチソウの生えた道を地下鉄駅から徒歩で父が看取られた介護施設に向かった。そのことを不意に思い出したので、ちょっと文章に書いてみた次第。




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