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服なんかたくさん持ってなくとも生きていける

こんな風な内容の文書が目に止まってハッとした。
確かにそうなの。洋服なんて最小限あれば毎日の生活に支障はないのよ。
だけどお洋服欲しい、ファッションは楽しい。ついつい服売り場を覗きに行ってしまう自分がいる。

基本的に自分は洋服やファッションは大好き。おしゃれでステキな人には憧れる。自分もそうなりたいとは思う。

ただ、現実に毎日の生活をして行く上で、そんなに飛び抜けておしゃれである必要はない。そして大量の服を所有していても整理整頓収納がちゃんと出来ない。おしゃれは良いけど、部屋はきちんとしていたい。その気持ちの対立。

街なかで仕事を終えて、特に急ぎの用事でもない時は洋服が並んでいる場所になんとなく見に行く。買う目的ではないが、自分にとっては並んでいる洋服を見るのが楽しいのだ。楽しいから見に行く。一種のレジャーかとも思う。

ただ以前と比べて、見て気に入っても買っちゃう頻度はとても下がった。安易には買わなくなったのは進歩ではある。目に入ってステキで欲しくなって、それが自分には負担にならない値段で。だけど「持っていて十分に活用できるか?無駄にせずに身につけられるか?タンスの肥やしにならないか?」とは立ち止まって考えるようになった。

実際、毎朝身につける服をその日の天気や気温に合わせて選ぶ。その選択がちょっと面倒だなぁ、と感じることも少なくないのだ。パパッと選んで着てそれが自分に似合っていてまずまずステキ。それはベストだよね。

その「洋服を選ぶ、コーディネイトするのがなんとなく面倒」って気持ちをもう少し掘り下げてみよう。そこからきっと何かが見えてくる。(理想はスティーヴジョブス?そこまで極端なことは出来ないけどね)

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若い頃大好きだったブランド

今、よく行く洋服屋さん(古着屋)で「良いなぁ、買って着てみたいなぁ!」って服が数着ある。その服に目をつけてから多分2週間以上〜1ヶ月は過ぎている。これまでの自分だったら迷わず「買い❗️」だったろう。だけど今はそこまで思い切れない。買った後にどの程度の頻度で着るか、着ないか、飽きちゃうか、どの程度の期間保有して最後は捨てる?また古着屋さんへ持って行く?さまざまに考えるよ。

先日はまた、古着屋に「多分もう着ない」と思われる服を処分しに行った。スーツ1着とベスト(長男の小学校卒業式に着せたもの。その当時の長男の背格好が私とほぼ同じだったのでその後はみけ子が来ていた)そして木綿のパーカー1着とウール地のこれも冬用パーカー。刺繍の入ったショール1枚。タートルネックセーターとマルチカラーのマフラー2枚。

白のダウンブルゾン。もう一枚グレーのダウンブルゾンも。洗濯表示のタグが取れていたからと買取不可だった冬用のダウンの巻きスカートは、ネット上のやり取りでもらって下さる方のところへ。全部だと大きな袋に3つ分。これを数回に分けて持ち込んだ。洋服って結構かさ張るね。かさ張るけど大した金額には当然ならない。でもほぼ全部引き取ってもらえたからヨシとしなきゃ。

処分した服の分、クローゼットに少しスペースが空いた。その空いたスペースに何を足すか、別に補充も足す必要もないか。

多分、空いたスペースを埋める必要などないのだ。だけど、やっぱり空いた所には自分は別な服が欲しい。それが今の正直な気持ちだ。何を求めているのかな?何を理想として行動しているのかな?その辺りをじっくり考えて行く必要はありそうだ。

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自分の気持ちには正直に、だけど部屋が雑然としていない状態は保ちたい。う〜んやっぱり自分にはこの辺りが人生の最大のテーマなのかも知れない💦

家の中やタンス、クローゼット内がスッキリしてモノが少ない。意識して片付けなくとも散らからない。その「快適」状態と洋服を沢山持っている「よろこび」それを自分の中で天秤にかけて「モノが少ない快適」が洋服を沢山持っているよろこびを上回った時に「洋服とかその他の服飾雑貨など沢山は要らないのだ❗️」と心の底から痛感するのだと思う。

あ、それと服を購入してその分手持ちのお金が減っちゃうのも天秤にかける要素の一つだね。

そうなるまで、まだもう少し時間がかかるかも知れないなぁ。




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櫻井みけ子久美
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