随筆家 岡部伊都子さんのこと
今の若い方は知らないかも知れないが、十数年前に亡くなった岡部伊都子さんという随筆家がいた。多くの雑誌に紀行文や随筆を書いていた。彼女の随筆は文章が香り高く巧みで、でも文章のテクニックに流されることなく対象を的確に捉えていて大好きな文章だった。
日本各地の工芸品の美しさを読み易い文章にまとめ、多数の雑誌等に発表されていた。彼女の随筆集を20代の頃はよく読んだ。たくさん読んでも読み飽きることなく、図書館に並んでいた彼女の随筆集をあらかた読んだのではなかったかな?漆塗りや染色品など、彼女が随筆で紹介する工芸品はどれも魅力的な逸品だった。
その工芸品の産地を訪ねる旅をしたこともあった。今でもよく覚えているのは、「京都の祇園ない藤」の履き物のことだった。桐の素材で足が乗る表にだけ黒漆を塗り、鼻緒は白い皮革製で前緒だけが紅色。黒地に白そして少しだけ紅色。なんと美しい下駄だろうと思った。京都に旅行した時にかなり無理をして購入した。
↑祇園ない藤さんのHPから写真をお借りしました。この写真の下駄とみけ子が以前購入したものとは別のものです。
そんな美しいものを発見して紹介する名手だった岡部さんだが、結構最近になって意外な彼女の側面を知ることになった。若い頃彼女は熱心な反戦活動家だったというのだ。物静かで知的な雰囲気の文章を書き、美しく実用的な民芸品や工芸品の紹介のエッセイと反戦運動とが、自分の中でまるで繋がらない。
しかし彼女の経歴を改めて調べてみるとその理由が分かった。彼女は婚約者を沖縄戦で亡くしているのだと言う。
そんな岡部伊都子さんの悲しくも心引き裂かれるような経験が彼女を反戦運動に飛び込ませたのだ。それは必然だったのだろう。彼女程の知性があれば、自分の運命を変えた辛い経験を文章として書き、行動せずには居られなかったと想像する。
あんなに熱心に読んだ岡部さんの著作本も、結婚やら引越しやらで文庫本の一冊も手元に残っていない。
沖縄が本土に復帰して今年50年。沖縄の悲しい歴史、そして現在も米軍の施設が沢山ある現状。現代に生きる私たちも重い現実としてしっかり考え、受け止めなければならない。そしてまた岡部さんの著作を改めてじっくりと読み返したいと思っている。