初恋
ユンギの写真がドーンなのに、いきなり宇多田ヒカルさんのMVを貼りつけてしまいました。
有名な曲ではありますし知っている方もそれはそれはごまんといるわけですが、
もしも歌詞までちゃんと知らないなぁという方はぜひぜひ、歌詞を噛みしめながら一聴してみて下さいませ。
Netflixドラマ『First Love』も話題になりましたね。(まだ全部観てないんだけど)
やっぱり宇多田ヒカルは天才なんだよな。
ものすごく抑揚があるわけではないけれど、心の揺れが手に取るかのように伝わるメロディー。
後半に訪れるストリングスとピアノのリズムが、胸の高鳴り、焦燥感、未知の感情に抵抗出来ずに、なりふり構わない自分になっていく様をありありと表現していく。
そしてこの歌詞が、
激しくヤバいのですよね。
もうミンユンギは初恋なのだ
私がユンギに出会っていない遥か前にリリースされた曲。当時は当時で、
「いい曲だ、さすがだ。初恋、苦しいな、切ないな。こんな感じだったかもな。」
そう思って、どこか一通り経験してきた
「そんな頃も私にはあったのよ」的な
ちょっと1段高いところから失礼するわね、みたいなうざいスタンスでやらせてもらってました。
それが、何ということでしょう。
このひとに出会って
そう、この人よ
そうなんだよ、この人ね
ふざけましたけど、(ごめんなさい)
ミン・ユンギに出会って、宇多田ヒカルの〖初恋〗の歌詞が、この歳でド直球にこの胸に響いてしまうようになってしまったのです。
ユンギ以外の推し?
実際の恋だってそうで、その真っ只中にいる時はこう思うものだった。
「これ以上好きな人にはもう出会えない」
「これが最後だ」
若い頃は盲目的に、完全に何かの見過ぎ、といった感じで、恋に恋して苦しんだこともあった。(毎回はやってられない)
でも実際は、ダメにもなるしあっさり次の恋もする。
散々経験したんだから知っているはずなのだ。
推しへのこの気持ちが”恋”だと例えるならば、
終わりは来るし、そして新しい推しを推すことだって当たり前に出来るのだ。なんの疑いもなく。きっと。
でも、経験上恋はそんなものだと嫌ほど知っているはずなのに、
「ユンギ以上に夢中になる?ありえない!そんな人がこの先現われるわけがない!」
何なら、
「ユンギじゃなければ一生推しなど知らない人生だっただろうな」
ぐらいのことを大真面目に言い切ってしまえる自分がいる。(こわいじゃん)
学ばない奴だなぁと思いつつ、どこかでこの気持ちが途切れることが想像できない。
そう思ってしまうのは、
ユンギが私にとって『初推し』であり、
この感情が私には初めてだったからなのだ。
今まで知らなかった。非常に戸惑っている。
それはもう、完全なる初恋ではないか。
だって、認めるしかない
『初恋』とは響きが美しい。
初々しく、可愛らしく、瑞々しい。
しかし、宇多田ヒカルが描く初恋は、
もうすでに辛い。
気づいたときには時すでに遅し。
気づいたときにはもう、うっすら好きなのではない。
自分がその人の顔を思い浮かべるだけで、声を思い出すだけで、
名前を口にするだけで胸が締め付けられる。
こらえようとすればするほど、涙が溢れて止まらなくなったりする。
もちろん、私には旦那も子供もいるわけで、現実の世界に大切な人がたくさんいるわけだから、そこの線引きはあるにせよ、
衝動に突き動かされるような行動を取ってしまったり、ユンギを好きになる前とは明らかに違う自分が存在している。
ユンギを好きでいることは楽しい。
○○さんのお嫁さん、○○ちゃんのお母さんの他に、
本来いたはずの自分が帰ってきたようだった。
自分を取り戻した気がして、そういう意味ではすごくハッピーだ。
しかし、これは初恋
『初恋』とはどんなものだったか。
キラキラしていた、楽しかった、その人を想うと幸せな気持ちになった。
その反面
辛い、苦しい、その人を想うとひたすら涙がでる
そして、私には手の届かないもの
それが私の『初恋』だった。
私には、初恋と絶望はセットだ。
叶うはずのない願いを持ち続けるのは絶望だ。
私はユンギとどうなりたいとかそういう類のリアコではないが、
想うほどに苦しいと思ったりするくらいにはリアコだと思う。
「沼に落ちる」「沼にハマる」
推しの沼は楽しい。いろんな友達がいて温くて、飽きない。
しかし、私にとっては絶望の沼でもある。
沼の底から見上げると一等星ほどに輝く光。
私だけが見ているわけじゃない、世界中のファンがその光を見上げている。
近づきたいと思って手を伸ばし、這い上がって沼の外に出てしまえば、
そこは私が沼に落ちる前の現実、生活があるだけだろう。
沼の外に、私が恋をしたユンギはいない。
絶望の沼の底に居てこそ、光が輝いて見える。
私の愛する推しは、沼の底からしかよく見えないのだ。
喜んで絶望の沼の底に沈み続けようじゃないか。
ここにも私の現実の暮らしは存在する。
ユンギへの想いと現実を抱きかかえて生きられるのは、
この沼の底の他に無いのだ。
好きじゃない、を諦める
お、日本語って難しい。
「好きでいるしかないじゃん、好きなんだから」
という状態ね。
無理に好きじゃなくなるなんてことは不可能だよ、この気持ちに抵抗できないよという意味。
実際には、ほんとに初恋をした時のように
「なりふり構わずあなたに夢中になる」
というわけにはいかない。
残念ながら制限付きの初恋であり、疑似の初恋だ。
それでも立派に衝動的な思いに駆られるし、
「あなたに会いたい、愛してる、どうしよう」
と壊れそうになる自分を体験することもできる。
さぁ、いよいよだ
欲しいものが手の届くところまで来てしまう。
私は追わずにいられない。
これを書いているのは3月31日当日だ。
絶望の、叶わぬ初恋だったとしても、
ユンギを好きになったことを後悔することはないだろう。
横浜で、私はそれを確認し、確信に変えるのだ。
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