見出し画像

ラスコーの谷で考えたこと#03/愛と言う絆のはじまりについて

50000年ほど前に「出アフリカ」した現生人類に繋がるヒトらは、スエズ地峡を越えた後しばらく小アジア地区に佇み、その後きわめて緩慢にですが欧州大陸全体へ/アジアへと四散して行きました。
この拡散に至るまでには、ほぼ30000年の時間が必要だった。その30000年の時の流れの中で、彼らの生物学的特徴である"巨大化した脳"は、如何ほど彼らにメリットを与えたか?
どう考えても、この硬い頭蓋骨の中に納められた"臓器"は、かれらにとって全くお荷物でしかなかったはずです。脳は日々取得する栄養の、ほぼ半分を消費します。そのために彼らは脆弱な体躯でいるしかなかった。それでも個体数2000体という絶滅寸前の危機を辛うじて回避したヒトらが、じっくりじっくりと個体数を増やして行けたのは、やはりこの巨大化した脳がもたらした間接的な"チカラ"のせいではないか?僕はそう思っています。
・・居間に掛った柱時計が日々正確に刻を告げてくれるのは、実は毎朝爺さんが合わせていたから・・そんな感じでしょうか?

現生人類に繋がるヒトらは、子を超未熟児として産むことで絶滅を逃れた。他の原人たちは、それが出来なかった。なぜか? 超未熟児として産むことは、有ったかもしれない。しかしその胎外胎児を守って育てていくグループ内乃至男女間の強い"絆"・・それは希薄だった・・のではないか?
少しセンチメンタルに、この"絆"を「愛」と僕は言いたい。
原人たちに「互恵」の意識は有ったかもしれないが、時には自己犠牲さえ含むこの「愛」という概念は、母子関係以外の繋がりの中には無かったのではないか?そう思ってしまいます。

なぜ、現生人類に繋がるヒトらは「愛」を持てたのか?それは精妙な意思疎通が、グループ内個体間で可能だったからではないか?僕は此処に「言語」の萌芽を見てしまいます。
たしかに原人も、火と道具と、それなりの意思疎通手段(呻り声/仕草)を持っていたはずです。しかし口蓋の適合進化から鑑みても、所謂言語と云える伝達手段を確保していたのは、現生人類に繋がるヒトらだけです。彼らだけが、指示指令/承諾以外の意思疎通・・愛を語れたのではないか?そう思ってしまいます。

英国の動物学者であるリチャード・リーキーは「一夫一婦制が最も子孫を残す確率が高い」と言ってます。たしかにこれは一理あって、一夫多婦/乱婚制を取っている類人猿などは、産まれてきた子の生存率がかなり低い。そのために世代を重ねても個体数は中々増えない。男女間の"愛の濃淡"が、子の生存に大きく関わっていることは間違いないようです。

旧約聖書(トーラ)の最初の一句は「はじめにロゴス(言葉)ありき」です。
これは、実は本質を突いているのかもしれない。
ヒトは、"言葉"によって"人"になって行ったのかもしれません。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました