星と風と海流の民#36/カーネKāneの聖地を訪ねて#02
ジュラシック・アドベンチャーを主宰しているクアロア牧場Kualoa Ranchだが、その後ろに控える山は、名の通りクアロア山という。すぐ傍がカアアワ渓谷Kaʻaʻawa Valleyである。20年ほど前に何度もその前を通りながら、クアロア牧場へは一度も寄ることがなかった。
Kualoaという名前は「長い背骨」という意味だ。夜中にノースショアからホノルルへ戻るとき、窓から見えるその鬱蒼とした分厚い山脈は、まるで老いたセイウチの背中のように思えた。ため息が出るほど、まさに神惰眠む聖域・・だった。
この王家の山であり王家の谷だったKualoaを、アメリカから来たゲリット・P・ジャッドGerrit Parmele Juddへ売却したのはカメハメハ3世だった。1850年である。この年に制令化した「外国人土地所有法Foreigners Land Ownership Act」に準拠した払下げだ。この時からハワイの土地は、瞬く間に海外資本に簒奪されまくっている。
そのきっかけを作ったのが所謂「グレート・マヘレGreat Māhele/土地分割制度」で、これは前々年度1848年に法令化されている。ハワイの土地を「個人が所有する」ようになったのは、この時からだ。
もともとハワイ(ポリネシア諸島)には「個人による土地所有」という概念はなかった。「神々そして王と首長と民」と言うセグメントの中に"個人による"という発想はあり得なかったのだ。土地は/島は、神々によってヒトに与えられたもので、王のものでさえない。土地は、最高位のアリイ・ヌイ Aliʻi Nui (王)によって統括され、それを下衣のアリイAliʻi (首長)が管理し、アフプアアAhupuaʻaという形で細分化されていた。村人(Kanaka Maoli)は、これらアフプアアのなかで夫々農業、漁業を営んでいた。村人(Kanaka Maoli)は神官(Kahuna)により統率され管理された。土地や資源そして産業は神聖なもので、個人の欲とは無関係だ。村人(Kanaka Maoli)は、神官(Kahuna)を通して首長(Aliʻi)に年貢として作物や物品を納めていた。完全な原始共産制だったわけである。
この体制を、なし崩し的に壊して行ったのはアメリカから渡って来た人々だ。
カメハメハ一世は、英国から与えられた武器と資金力でハワイ諸島の統一を行ったため、英国人のハワイ居住について極めて好意的だった。王は英国からの移住者へ土地をふんだんに与えていた。もちろん貸与である。譲渡ではない。・・この「王からの貸与」と言う先例が、アメリカからの移住者にも当てはめられた。アメリカ人は、王(Aliʻi Nui)ではなく首長(Aliʻi)からアフプアアAhupuaʻakの一部を金銭を払うことでリースしたのある。カメハメハ三世はこれを許した。
その視野が何処まで及んでいたのだろうか?
交易のためにハワイへ移住する人たちと、アメリカ人たちの目論見の抜本的な違いを、彼は何処まで理解していただろうか?
アメリカ人がハワイへ移住する目的は「開拓」だ。彼らは主にサトウキビ・プランテーションを立ち上げるために、ハワイへ渡って来た人々なのだ。今までハワイにやって来た英国人そしてフランス人・ロシア人は、貿易と宣教のための人々だが、アメリカ人は開拓者としてハワイに移り住み、この土地で産業を興すためにやってきた人々である。移住ではない。移植だ。
その、彼らが立ち上げたサトウキビ・プランテーションは1930年代に入ると本格化した。となるとハワイ経済は、今までの捕鯨船のための産業や、ココナツなどの輸出から、さらに儲かる砂糖産業へと、あれよあれよと姿を替えてしまった。その眼先に惑わされて、王や首長らは経済的利益を享受を目指して、多くの土地をアメリカ人たちへリースするようになっていったのである。そして産業が巨大化すると、ハワイのサトウキビ・プランテーションには海外から無数の資本投与されるようになった。国は豊かになった。しかしそうなると・・資本家にとって「我らの産業拠点がリースである」という体制が問題となっていく。「なぜ土地が我々のものでないのか?そんないつ契約が破棄されるか分からない土地の上で行っているビジネスに、我々はお金は出すのか?」ということである。
その意図を反映した外圧が、ハワイ王家を内部から揺るがさせた。・・10年ほどで砂糖産業でズブズブになった王族の側近たちが、このアメリカ人の思惑に追従した。そして1848年「グレート・マヘレGreat Māhele/土地分割制度」が成立‥というわけだ。28年後、1875年にアメリカと通商条約と提携。関税はなくなった。
ハワイ王政が没落が没落したのは、その18年後。1893年1月17日である。カメハメハが英国の威力に拠ってハワイ諸島を統一したのは1810年。83年でハワイ王家は消滅した。