北京逍遥#01/禁なる紫城を歩く
縁あって暫く北京に単身で逗留した。20年ほど前である。ホテルは大学に近い「フレンドシップ ホテル」を招待してくれたセクションが用意してくれた。
「プライバシーはないよ。いない時間に定期的に荷物もPCも全チェックされるよ」と事前に言われていた。まあ、なにも困るデータは持ち歩いてないし、困る言動は慎んでますから(^o^;;「問題ない」と返事した。たしかに・・PCは時折開けられてたね。通信回線はアチラのものを使ってるから、それで十分だと思うんだが・・そういうもんでもないらしい。それでも北京長期滞在は嬉しかった。和魂漢才を旨とする者として、北京は智の半分を恃む地だからだ。
ホテルから紫禁城までは、いつも通訳兼ガイドが車で案内してくれた。
ところがだね。この通訳兼ガイド君というのがまるでおざなりの知識しかない。しまいには、この地で清代に何が有ったは、僕がガイドして歩く羽目になった。それと、僕が漢文を抵抗なく読むことにびっくりして
「あなたは何故そんなに中国史に詳しいのか?大学で専攻していたのか?」と聞かれたことがある。
「和魂漢才Rìběn línghún yǔ zhōngguó cáihuáと言うんだよ。日本の文化の殆どは中国中原の国から輸入されたものなんだ。日本人は中国を尊び、その知恵を学んで、それを日本固有の精神に即して消化してきた。だから四書五経Sìshū wǔjīngを読むことは素養として子供のころから学ぶんだ。」
そう、さらっと云うと通訳兼ガイド君が目を丸くした。
・・戦後はスポイルされているが・・とは加えなかった。
「四書五経・・中国の子供たちは、その名前さえ知らないかもしれない」
なぜ紫禁城を歩きながら四書五経の話になったかと云うと、彼が紫禁城の名前の由来として、まるで教科書を読むように北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣、北極星を紫微星と呼んだことからきているという説明をしたからだ。「紫微垣を紫宮とし、北極星を紫微星としたのはタオが古代中国人の共通認識だからだ。天理は農耕の根本だからな。紫禁城の紫は天上を表し、禁はまさに天界である紫宮を禁城としたことからきているんだ」僕が云うと、通訳兼ガイドが曖昧にうなずいた。
「それが紫禁城がこの場所にあり、尚且つ王が"天子南面ス"理由だ。
周易に"聖人南面而聽天下 嚮明而治"とある。聖人南面して天下に聽き、明に嚮ひて治む、だ。
論語・衞靈公篇にも"恭己正南面而已矣"とあるが、"天子南面ス"の出典は周易だろうな」と僕が言うと、彼が「すいません、メモしていいですか?」と言った。