夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩2-1/アンリ・ジャイエ
2006年の10月半ば。シンガポールからエアフランスでCDGに入った。同行は妻と秘書のK君。駅前でTAXIを拾ってGare de Lyonに出た。いつもならシャトル便で市内に向かうのだがその時はTAXIだった。Gare de LyonからDijonまではTGVで一時間半程度。到着は夕方近かった。そのまま駅前でTAXIを拾って パラントゥ畑Cros-Parantouxまで行った。30分程度。車を降りて畑を三人で見つめた。
「歩くぜ」
村道から横に入るあぜ道に入った。200m歩くとみちが無くなった。目の前に葡萄畑が広がっている。収穫が終わった後だ。
「小さい畑だよな」僕が言うと、並んでいた嫁さんが小さく頷いた。
「これを見に来られたんですか?」秘書のK君が不思議そうな顔をした。
「先週、ここのオーナーが亡くなられたの」嫁さんが言った。
「え、そうなんですか。ご知り合いですか?」
「いや、一度もお会いしていない。何度も彼のワインは飲んだが・・逢わずに終わった」
「有名な方ですか?」とK君。
「ああ、アンリ・ジャイエHenri Jayerという方だ。人嫌いで有名な方だった」
「初めて聞きました」
妻がもう少し北の方を指差した。
「あちらの方にリシュブールがあるの。もう少し南にはレ・プティ・モンがあるの」
「有名なんですか」とK君。
「そうね、知ってる人にはね」嫁さんが返事した。
「ここをジャイエは馬で耕したんだ。村道に面していないからトラクターが入らなかったそうだ。1ヘクタールしかない小さい畑だ。でもこの通りゆっくりと傾斜しているからな、作業はきつかっただろうと思う。今はエマニュエル・ルジェEmmanuel Rougetという方が引き継いでいる。寡黙な方だ」
「その方はお知り合いですか?」とK君
「ん・・一度だけな」
「シャイな方だけど、気が合うと明るく色々なお話をしてくださったわ」嫁さんが言った。
「お礼だけして帰ろう」
僕らは黙祷してあぜ道を戻った。
車に戻って少し走ると十字架が見える。
「ロマネ・コンティって知ってる?」嫁さんが言った。
「はい、一応。オーパスワンとロマネ・コンティは知ってます。オーパスワンも近いんですか?」K君が言った。
「ん。近い。20000kmくらい先だ」僕が不機嫌に言うと、k君は黙った。
「マイクさんはね、西海岸ワインは飲まないのよ」嫁さんが言った。
「あ・そうでした。すいません」K君がアタマを掻いた。
「もうちょっとワイン、勉強します」
「止めといたほうがいい。金ばっかりかかるし、金かけなきゃ蘊蓄ばかりのカスになる」
僕が言うと、k君が小さく「はい」と言った。
「止めといた方が良いわよ。今日は何言っても不機嫌よ」と嫁さん。K君が頷いた。
「アンリ・ジャイエは10年くらい前に引退したの。そのおかげで、値段は天井上がりで高くなってるの。大好きな宝物を取り上げられて、ジャイエの名前を出すと、ずっと不機嫌だったのよ」嫁さんが言った。
「最初に二人で来たのは・・95年だったな。彼が引退した年のことだ」
「え~そうだったの?」
「ロマネ・コンティの畑を見たのも、あの時が最初だった。デジョンに泊った」
「駅のそばだっわね。近くのレストランでエスカルゴの煮物が出てびっくりしたわ」
「ああ、あれから10年だ。彼が引退した後も、少しずつだが彼の名前を記したものは市場に出ていたな。何回か買った」
「明るい赤で、軽くて酸味が高かったように思うわ」
「ん。リシュブールの名前だった。石灰質で地味薄い土地だ。クロ・パラントゥは北東向きで特級畑のランクから遥かに離れている。一級畑になったのは1953年からだ。元詰めとして売り始めたのは1978年からだ。89年に甥のエマニュエル・ルジェEmmanuel Rougetが後を継いでクロ・パラントゥのワインはドメーヌ・エマニュエル・ルジェとして売られるようになってる」