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パリ・マルシェ歩き#18/マルシェ・クベール・シャペル02
マルシェ・クベール・シャペルMarché couvert La Chapelleの前身はとても古い。1100年代からだ」
「へぇ、レ・アルと同じくらい古いのね」
「ん。いまの中央市場になるレ・アルLes Hallesは1137年にフランス国王ルイ6世の命令で始まったものだ。そしてパリ北東部で始まったのがレンディエット市場Foire du Lendit。これが今のクベール・シャペルの前身だ。成立年はおそらく近しいと思う」
「なぜ二つもマルシェがあったの?」
「パリも当時の都市と同じように城壁に囲まれていた。パリは845年にノルマン人・ラグナル・ロズブロークRagnar Lothbrokの大襲撃を受けているからね。強固なものは1100年代末にフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)が建造するまでは無かったが、街はそれなりの城壁で外と内を切り分けていたんだよ」
「ラグナル・ロズブロークって、初めて聞く名前だわ」
「伝説的なヴァイキングの荒ぶる王だ。彼は1200の舟を引き連れてパリを奇襲した。王シャルル二世は大量の和解金をラグナル・ロズブロークに支払って和解している」
「ヴァイキングに負けたの?」
「ん。これが大きな教訓になった。ノルマン人は885年に再度パリを奇襲しているが、この時はフランク軍は互角に戦っている。ノルマン人の首領はシージフリッドSiegfriedという人だった」
「そのときは勝ったの?」
「同じく和解金を支払って終戦している。この時のフランク王はシャルル三世だ。この襲撃以降、彼はパリの防御壁を強化したんだ」
「ふうん」
「ちなみにシャルル三世はノルマン人を懐柔するためにネウストリアNeustriaを彼らに与えた。これがサン=クレール=シュル=エプト条約Traité de Saint-Clair-sur-Ept.だ。911年に交わされている」
「ネウストリア?」
「クローヴィスの子クロタール1世の地だ。クローヴィス死後、クロタールはフランス北部、セーヌ川の川下辺りを委譲されたんだ。ネウストリアNeustriaというのはラテン語のneuste(西)のことだ。大西洋に面した土地だ。これをシャルル三世はノルマン人に与えた。これがノルマンディー公国になった」
「弱気だったのねぇ」
「ん。彼がシャルル単純王Charles le Simpleと呼ばれる理由だな。たしかに同地を与えたことで、ノルマン人の襲撃は減少した」
「無くならなかったの」
「ん。減少はした。結果としてみると、このシャルル三世の妥協で、ノルマン人は更に強大な力を持つようになってしまったんだ。ノルマンディー公国の躍進は、フランク王国にとって深刻な脅威になったんだよ。
これがエリノアールとアンリ二世の結婚に繋がっていく。」
「元も子もない話ね」
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「ところがだ」
「あ・出た。ところが・・」
「ノルマンディ公ウィリアムという賢帝が輩出した。彼がノルマンディ公になったのは1035年7歳の時だ」
「7歳!」
「ん。実は、彼は非嫡出子だった。そのためノルマンディー公ロベール1世の愛人だった母エルヴェヴァHerlevaの一族が彼を支えた。これが幸いした。直属に、面従腹背のない人々がいなかったんだよ。全員がウイリアムと共にサクセスしようと戦ったんだ。その一体感は、嫡子の子だと柵が多くてうみ出せないからな。彼は幸運だった。それと・・やはりウィリアムは傑出して聡明だった。
成人すると、彼は自領拡大について醒めた目で考えていた。フランク王国を攻めたとしても労多くして得るものが少ない。そこで彼は、海の向こう、イングランドを狙ったんだ」
「あらま」
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「1066年1月5日、イングランドの王エドワードが老齢で亡くなった。エドワードは長期政権だった。彼の許でイングランドは安定していたんだが、彼が亡くなったことで国は弱体化した。これを攻めたんだ。1066年12月25日、彼はイングランド王ウィリアム1世となっている。いまの英国がこの時に誕生している」
「でもエリノアールとアンリ二世の結婚が・・」
「そう。英仏百年戦争へ繋がっていく。その根本は、シャルル三世の弱気と妥協だったという訳さ。シャルル三世は決められない男だった。いつも周囲の言葉に引き摺りまわされて迷走した。無能な王は、国を無為な危機へ追い込んでいく。その典型だ」
「あ・キシダ政権のことを言いそうね」
「無能な王は決められない。しかし決めるとそれに異様なほど執着する。"君子は豹変す"になれない。だから決めたことで派生するデメリットをコントロールできない・・ということさ。敬虔で柔和で善人だったがそれだけな王だったのさ」
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