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黒海の記憶#49/ルーシ人とルウイ族の、時間を超えた近似性#02

力関係に優劣が有るところではルーシ人は残虐で無慈悲だった。彼らは黒海沿岸の各都市を死神のように食い散らかした。そして老若男女関係なく殺した。彼らの通った後には血の海しか残らなかったという。若者らは奴隷として捕獲され、商品としてビザンツ人や遥か西のイタリア半島から来る商人たちに売られた。奴隷を表すスレィブslaveは、彼らスラブ人slavを指す。
多くの奴隷は、黒海の南端・喉元であるコンスタンティノープルに集められ、同地で開かれる奴隷市で売られた。「交易相手」はビザンチン人/イタリア半島諸城塞都市から来る商人だった。

スラブ人に残酷・無慈悲だったルーシ人だったが、交易相手には通商の礼を守ったのでビザンツ人は彼らを受け入れていた。しかし言うまでもなく、ルーシ人もまた、過去の北のステップから流れてきた民と同じく、決してローマに奉らうことのない面従腹背の徒だったことには変わりがなかった。

ところがこのルーシ人だが、過去の北東からの侵略者と大きく違うところが有った。それは彼らが運搬船を能く操る民だったことだ。たしかにルーシ人もまた他の遊牧民族と同じように混交分裂を繰り返してきた。そして地元先住民/他の渡来民の血も受け入れた。実はそのプロセスの中で、僕は黄昏の民Normanniノース人の影響をかなり強く受け入れたのではないか?と思うのだ。そのことがルーシ人の極めて秀でた造船技術/操船術に現れているのではないか?そう思えてならない。

黄昏の民Normanni・・その存在は、かなり早くから地中海の人々に知られている。
浅黒い肌と青い目(劣性遺伝)の人々だった。ヘラジカとトナカイの狩猟で生活していた。祖型はエウロパの地に拡散していったクロマニオン人と同系の旧石器人であろう。彼らがバルト海を渡り、現スエーデン北限まで達したのは1万年ほど前のことらしい。
ノース人について書かれた最初の文献は小プリニウスのものだ。最初の千年紀のごく初期である。北への遠征が実施された折、キンブリア半島 (つまりユトランド半島)周辺の島々で、ローマ軍はノース人と出会った・・とある。この記事の中で小プリニウスはヒレヴィオナム・ゲンテ illa suionum genteという名称を挙げているが、以降の文献にこの名は見あたらない。
・・この小プリニウスの記述の半世紀くらい後に。プブリウス・コルネリウス・タキトゥスがゲルマニアDe origine et situ Germanorum (Germaniの中で、より詳細にノース人に触れている。この記述のなかで、タキトゥスはノース人の船型と操船術にも触れている。後年、バイキングと呼ばれるようになる海の民についてだ。
実は、こうした「海の民」たちを相手に、黒海北岸のステップ回廊を走り抜けた人々は商いをしていた。そのことで金属加工、造船、馬と牛の飼育を彼らにもたらしたわけだが、その過程で同時に彼らも多ノース人の血を受け入れたに違いない。僕はそう思う。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました