見出し画像

星と風と海流の民#20/フォートカニングの丘へ04


フラッグスタッフの少し先に灯台が有る。
「この灯台は1903年に建造された。フランク・スウィッテンハムSir Frank Swettenham)が海峡植民地総督を辞めたのが1901年でね。その後はしばらく植民地総督は空白になった。その空白時に作られたのが、この灯台だ。


この頃、シンガポールは海峡植民地Straits Settlementsから連邦マレー諸州Federated Malay Statesへ併合さるという方向へ進んでいた。その一環として、マラッカ海峡を通過する船舶のために、連邦マレー諸州が資金源となって幾つかの灯台がシンガポールに建築されたんだよ。フォートカミングの灯台もそのなかのひとつだ。1958年まで機能していた」
「ふうん」嫁さんは気もそぞろだった。
「どうした?」僕が云うと、嫁さんは灯台の前の木を指した。
「これ、ゴールデンチェーンツリーよ。オウゴンカンザシノキというのよ」
「?」
「花が黄金の簪のようなの。それでその名前が付いたの。・・これってブラジルの木よ。これもシンガポール政府が持ってきたの?」


「え、ああ。シンガポール緑化政策な。間違いなくその一部だな」
「そういえば、いま通って来た林道も考えてみると、この島の植物じゃないのばかりだった・・きがつなかった」
「リークァンユーは、この高温多湿の島を棲み易いガーデンシティにしようとしたんだよ」
「彼が許したモノだけが、この島にある・・というあなたの話ね。思い出しわ」
「木も動物も虫も、彼が許したモノで、この島は出来上がっている。謂わば"リークァンユーの作った箱庭"がこの島だ」
「いつも、へぇと思って聞いてたけど・・このフォートカミングに生い茂る樹木までさえ原生林じゃないわけね。いま初めて納得したわ」
「ラッフルズ卿もそうだ。リークァンユーもそうだ。彼は原生林の中に世界有数の先進国を作ろうとは思っていなかったんだ。この国の根幹を流れているのは、彼らのような痛烈な意志だ。すごいことだよ」

僕らはそのまま中央アメリカ原産のレインツリーが繁る林道へ入った。
「みて。あれはネジレフサマメノキ。あれは東南アジアの木なの。ペタイと言うの。ネギやニンニクみたいな臭いがするの。香辛料として使うの」
ペタイParkia speciosaは、傘のような形をした形状で、高さは10m以上にもなる。花は長く、クリームがかった白色だ。
「もう少し向こうに行くとスパイス・ガーデンがあるよ。
博物学者だったラッフルズ卿は、皇帝の傍にスパイスを集めた植物園を作った。現物は無くなっちゃったけどね、そのレプリカを2000年記念で興したんだ。あとで行ってみよう」

鬱蒼と茂った雑木林を抜ける小道を進むとSang Nila Utama Gardenサン・ニラ・ウタマ庭園の前を抜けた。
「タイやマレーシアの寺院みたい」嫁さんが言った。
「ん。この辺のものは全て今世紀に入って、シンガポール政府の中にフォート・カニング・パークをシンガポールの歴史的・文化的ランドマークにしようという気運ができてね、2019年「フォート・カニング・ヒル・センシティブ・ヒストリカル・アンド・エコロジカル・ゾーン」という計画が起きた。その結果整備されたものだ」
「ふうん。昔から有ったものじゃないのね」
「ん。出来たてだ。だから君の言ったように繁っている樹木が原産地のものじゃないのも当たり前なんだ。・・それと」少し行くと、ここもまた東南アジア風の廟に出会った。
「ケラマト・イスカンダル・シャーKeramat Sultan Iskandar Shahだ。ケラマトというのは霊廟のことだよ。インドのタージ・マハルがあるだろ?あれも霊廟だ。イスカンダル・シャーという人は、モスレムへ改宗したときに名乗った名前でね、この地を支配していた時はパラメスワラParameswaraと言っていた。
彼がどの出自なのかは分からない。テマセクといわれていた頃のシンガポールはシュリーヴィジャヤ王国の支配下に有ったからね。その係累だったのかもしれない」
「ふうん。ということは仏教徒だったわけでしょ?それがモスレムになったの?」
「ん。モスレム商人たちが東へ急速に拡大化していた時期だからね。彼がモスレムに改宗したのはシンガポールを追い出された後だ」
「追い出されたの?」
「ん。1300年代後半のこの地域はマジャパヒト王国やアユタヤ王朝が最盛期だった。パラメスワラは彼らに襲われたんだ。それでマレー半島に逃げてマラッカで新しい王国を建てたんだよ。その時に彼はモスレムに改宗した。おそらくだな、この逃避行にも建国にも深くモスレムの商人たちが関わっていたに違いない。モスレスは政経一致の宗教だからな。それとモスレム国同士は強く提携関係を持つからな。パラメスワラがイスカンダル・シャーになることは、政治的にとても重要だったに違いない」
「そのマラッカに逃げちゃった王様の霊廟が此処に有るの?此処の王様だった時は仏教徒だったんでしょ?」
「イスカンダル・シャーは故郷テマセクを愛していた。あ。そのときはもうシンガプーラSingapuraと呼ばれていたかもしれない」
「シンガプーラ?シンガポールじゃなくて?」
「パラメスワラより百年前くらいの頃だ。シュリーヴィジャヤ王国にサン・ニラ・ウタマSang Nila Utamaという人がいた。ある時、彼が狩りの途中、嵐に襲われてテマセクに逃げ込んだんだよ。そのとき彼がシンガプーラを見た」
「なにそれ?シンガポールの像のこと?マーライオン??」

「サンスクリット語でSingaは虎だ。puraは町」
「シンガポールに虎がいたの?」
「もしかするとマレータイガーかもしれない。可能性は有る。それでシュリーヴィジャヤ王子サン・ニラ・ウタマは、この地をシンガプーラと呼んだんだよ。
あ~それがテマセクからシンガプーラへ変わった理由な。で、なぜイスカンダル・シャーの霊廟が此処に在るかというと・・彼は故郷テマセクを愛していた」
「ええ」
「彼は死の直前、この地へ戻って亡くなったと言われてるんだ。そしてその遺体はフォートカミングの丘に埋葬された。。と」
「そのお墓がここなの?」
「いゃ。あくまでも言い伝えだ。エビデンスは何もない。ケラマト・イスカンダル・シャーも2019年『フォート・カニング・ヒル・センシティブ・ヒストリカル・アンド・エコロジカル・ゾーン』として建造されものだ」
「そんな話ばかりね‥一体全体マレー王の宮殿はホントにあったの?」
「有った。マレー王かどうかはホントは判らない。諸説がある。でもこの丘に支配者たちの宮殿・要塞があったことは間違いない。その調査発掘がJohn Miksic博士が1984年に始めたものなんだ。このケラマットのさきにあるFort Canning Archaeological Dig Siteだよ。今回のハイライトは此処を見に来ることなんだ」
「あらそう。シンガポールは何処行っても、ホントの遺跡らしきものは何もない・・という話じゃなかったの?」
「いや、違う。少しずつだが発掘はされている。ここも僕が最初に観た時は、発掘した後を掘っ立て小屋で囲っただけのものだったんだけどな、いまは2019年から始まった文化遺産整備の一環として整備されている。実は、今朝の散歩の目的は、昔見た時に比べてどんなに綺麗になったかが知りたかったからだ」
「ふうん。綺麗だといいわね」
https://www.youtube.com/watch?v=gYpLN7HYYso

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました