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ボージョレーの第二次世界大戦/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#16


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1940年5月10日から始まるナチス・ドイツの侵攻は、フランスのワイン業界に深刻な影響を与えました。国境からそれほど遠くないシャブリ・シャンパニューは、当然のように戦場と化した。畑は破壊され、銃を持って戦った人々は次々と斃れました。アルザスもそうです。前線にある畑は踏み潰され凄惨な戦いが起きました。


余談ですが、ひとつ記憶しておくべきことがあります。それはアルザスで戦ったのアメリカ陸軍が第7軍だったことです。第7軍には日系二世だけで構成された第442連隊が有りました。1944年10月。彼らはドイツ軍と過半数の兵士が死傷するという壮絶な戦闘を、ロレーヌの小さな町ブリュイエール周辺で行っています。この戦闘はアメリカ陸軍の歴史上重要な10の戦闘の一つとして記録されています。ブリュイエールには今でも、これを記念した『歩兵第442連隊通り』という通りがあります。

同じように、シャンパニュー・ランスに行くと、この地区での戦いで亡くなった人々の碑が有ります。無数に書き込まれた名前を見つめると、本当につらい気持ちになります。


そのナチス・ドイツによる征圧は、ボルドーにも及んでいます。ボルドーで、彼らは徹底的にユダヤ人を狩った。そのためユダヤ人が経営していたシャトーは廃虚と化し、放置され荒廃し尽くしました。

実は、ナチス・ドイツはボルドーに潜水艦Uボートの基地を置いたのです。大西洋から70kmほど入ったジロンド川は、まさにぴったりな条件だったからです。そのためもあってユダヤ人は根こそぎ捕らえられ収容所送りにされたのです。多くの悲劇が生まれました。

ブルゴーニュも、ナチス・ドイツに征圧されました。デジョンもボーヌも、彼らの管理下に入った。しかしボージョレーは、かろうじてナチスの被征服地域から外れたのです。この時もまた、二つの地方を分ける暗黙の境界線が、ボージョレーを守ったのです。人々は戦時中も黙々と葡萄を育て、安価で優しい日々飲めるワインを製造し続けました。

1945年5月1日、戦争末期には少年兵や戦力にはならない老人まで狩り出して、戦いを強要したヒトラーが自殺します。その後を継いだデーニッツ海軍元帥は5月7日に無条件降伏。欧州戦線が終わります。しかし戦争の爪痕は、フランス各地の葡萄畑に深く残りました。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました