ラスコーの谷で考えたこと#04/言語のはじまりについて
最初に言語を使ったのは誰か?という問題は、最終的な見解が定まっていません。
この論議の中で最も著名な論者ノーム・チョムスキーは、我々に直接繋がるヒト類が10万年ほど前に"唐突に""ほぼ完全な状態で""ただ一つの個体から"始まった・・と主張します。そしてこれがパートナーに伝えられ、グループ全体に広がり定着した・・と。この説はかなり魅力的ですが、大半の学者は霊長類の中に有る意思疎通のための手段/プレ言語体系が複雑化し、これが「言葉と云う音群」に換えられ発展したのではないか・・としています。
生き物は、個体間及び集団間の意思疎通の手段として、仕草あるいは鳴き声を利用します。これを言語と云うなら、言語の起源は極めて旧いものになる。「危険」「此処にいる」「怒っている」「従う」など、基本的な意思疎通のための"仕草あるいは鳴き声"は、およそ40種類くらいまで識別できる種類も有るとされています。現生人類に繋がるヒトらは、これを喉から出される音に色々な違いを付けることで記号化した。言語化した。
しかしこの「記号⇔言語」の成立には、口蓋の適合進化と言語に関わる脳内(ブローカ野やウェルニッケ野)の確立という"進化"が必要です。その進化を遂げた類人猿は(原人をふくめて)現生人類に繋がるヒトら"ホモ・サピエンス・サピエンス"だけ・・でした。その意味ではノーム・チョムスキーの「不連続性理論」は"当らずとも遠からず"なのかもしれませんね。
こうした適合進化/言語に関係する遺伝子―例えばFOXP2―の塩基配列について、今後旧人のDNAの検出がされ、これとの比較が行われるようなことがあると、かなりの疑問が解決されるかもしれません。楽しみです。
さて。この「喉から出される音に色々な違いを付けることで記号化する」作業。言語化する作業によって、ヒトら意思疎通の幅は驚異的に広がりました。精妙な部分まで正確に伝えられるようになったのです。
これはまさに甚大な「意識革命」でした。ロゴス(ことば)が、ヒトなるものの在り方をかえてしまったのです。
ヒトが「他者に共感する部位/能力」ミラーニューロン野を確立したのは、おそらくこの頃からではないか?僕はそう考えています。ちなみに類人猿を含めて他の生物にはミラーニューロン野はありません。彼らには喪失したことへの哀しみはあるが、共感はない。共感し・他者の痛み・喜怒哀楽を脳内で疑似体験するのはヒトという生き物だけです。
そしてもう一つ。ヒト特有の意思疎通手段である言語に現れる、際立った特異性は「問い」です。
幾つかの意思伝達法を組み合わせながら、かなり複雑な意思疎通を行う生き物は存在しますが「問い」を持つ生き物は皆無です。
「問い」はヒト特有の"心"なのです。
言語の問題を考える時、僕らは常に"五情"を超えた・・謂わば"ロゴス(ことば)の上に紡がれた心"の問題を何処かに必ず置かなければいけません。でないと、一番重要な部分から離れた瑣末ばかりを見ることになってしまう。
ちなみに脳内のブローカ野やウェルニッケ野は音を認識するだけでなく、顔面、舌、口唇、喉頭の筋肉を制御する権能も持っています。とくにこのウェルニッケ野は、実に問題を含んだ部位で、どうやらヒトの心はかなりの部分で此処が作用しているのではないか?と云われるようになってきています。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました