夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩5-03/バスを使ってジュヴレ・シャンベルタン歩き#03
https://www.youtube.com/watch?v=HUH8s0WuHuY&t=39s
休業中ということで、ジュヴレ・シャンベルタン城には入れなかった。
「今の持ち主はスタンレー・ホーStanley Ho何鴻燊(2020,5/26死去)だよ」
「スタンレー・ホーってマカオの!?」
「カジノ王だ。ロンダリングの帝王だ」
「どうして!そんな話、誰も知らないでしょ?」
「そんなことない。当時は大きなニュースになった。2012年だよ。細かく分解してマカオに持って帰って新しいカジノを作るのか?と僕は思ったね。まあ、それはなかった。ただ同時に買った2ヘクタールの葡萄畑はコンティ公の後を追った。プライベート・ブランドになった」
「びっくりね、地元の人は反対しなかったの?」
「した。スタンレー・ホーが買うという話が出た時、地元の有志がお金を400万ユーロ集めてこれで買う話をしたんだが、管財人が700万ユーロ以下は認めず、結局800万ユーロの提示をしたホーが有無を言わさず買い取ったんだよ」
「すごいわね」
「まあ、ジュヴレ・シャンベルタン城はもうだめだ・・という話はずいぶん前から流れていた。あそこを1858年に買ったマッソン家はフィロキセラ以来凋落の一途を辿ってからな、晩年は母娘二人でようやくやってる状態になってた。それが母が亡くなり、相続人が9人いたんだが、維持はムリということで管財人に任せて手放すことになったんだ。その管財人が見つけてきたのがスタンレー・ホーだ。村は騒然としたが、個人財産だからな、誰に売ろうと勝手だ。ましてや相場の数倍の値段が付けられたら手も足も出ない・・ということでほーのものになったんだよ」
「なるほどね~」
「あまりにも高額!ということで仏ル・モンド誌がホーにインタビューしている。彼はこういったそうだ『決して高くは有りません。800万ユーロと云うとマカオではベランダ付きの2部屋アパートの値段です』まあ、ほんとにそうだよな。国力の差を感じさせるな・・」
「みんな怒りまくったでしょ」
「その辺はビジネスマンだから抜かりない。管理を地元のドメーヌ・アルマン・ルソーに任せたんだ。そして城の修復をフランス人クリスチャン・ラポルトに依頼した。これには文句言う奴らもいない。黄禍話は立ち消えさ」
帰りはシャトー通りを真っすぐ下りた、
少し行くと左側にワイン畑が広がった。この辺りからエグリース通りRue de l'Égliseと名前を替える。
由来は左側にあるサンテニアン教会Eglise Saint Aignanだ。横のキューる広場へ入ると正面が見えた。
「サンテニアン?」
「オルレアンの司教だ。300年代末の人だ。蛮族に町が襲われたとき、同市でネゴシエーターとして才を振るった人だった。そのことで聖人になった」
「あ、あなたの云う聖人粗製乱造時代の人ね」
「・・まあそうだ。この教会は彼に捧げられたものだ。古くてね13世紀末に建てられた。ブルゴーニュの教会は相当大建築じゃない限りパリ革命時に、かたっぱしに焼き払われたり廃墟になったただろ?メッカだったヴォーヌ村には、もうほとんど残っていない状態だ。この教会は比較的そのまま残ってる珍しい例だよ。
Église Saint-Aignan de Gevrey-Chambertin(Rue de l'Église, 21220 Gevrey-Chambertin)
https://gadenne.net/pano/Gevrey-Chambertin/aignan/aignan.html
教会に入ると小振りなパイプオルガンが有った。
教会を出て再度エグリース通りにでた。
「ジュヴレ・シャンベルタンって、畑と村が隣接してるのね?」
「うん!おっしゃる通りだ。集落がポツリポツリと畑の中に塊を作って、それが全体として村になってるという感じだ。村を挟んで北側が‥具体的にはキュルレー通りRue de Curley Bisより北がプルミエクリュ
。南側がグランクリュという扱いになってる。二つのクリュの真ん中に有るのがジュヴレ・シャンベルタンの村だ」
目の前に五差路がある。その右側にDomaine Armand Rousseau(1 Rue de l'Aumônerie, 21220 Gevrey-Chambertin)の門が見えた。
https://www.domaine-rousseau.com/
「ここのオーナー、アルマン・ルソー氏がジュヴレ・シャンベルタン城のワインの管理を任されている。最近、リタイヤされてね。自分は訪問者の対応と案内を受けているそうだ。お会いするつもりでメールをいれたんだが・・予定が合わなかった」
「そう・・残念ねぇ」