LAST FRIGHT OF SAIGON#12/サイゴン陥落
1974年8月9日、リチャード・ニクソンの大統領辞任を受けて、副大統領だったジェラルドRフォードが大統領に昇格した。ちなみにフォード大統領は76年の大統領選では敗れた。アメリカ史上ただ一人の選挙で選ばれないで大統領を務めた男だ。そのフォードが、ニクソンの後を継いでベトナム戦争を背負った。つまり前述の北の(ソ連の)ベトナムにおける覇権戦略を漫然と為すがままに黙認したのはニクソンではなくフォードだったこと。これはアタマに残しておこう。
そのフォードが4月23日。サイゴンの喉元であるスアンロクが陥落した直後、以下のような声明をだしている。
「アメリカ人にとっての戦争はすでに終わっている。もはやベトナム人を助けることはない」と。
かくして、お墨付きをいただいた北側政府軍は27日にロンタイン、パリアへ進出。北部トウザモットヘ。北西はドンズー基地を包囲していた。そして29日午前5時、サイゴンへの侵攻が始まった。
しかし・・なぜグエン・バン・チュー大統領は、北の侵攻に対して万全の防衛体制を敷かなかったのか?置き去りにしていった情夫アメリカの歓心を促すことばかりしかしなかったのか?
たしかにニクソンは「アメリカは共産側の重大な協定違反を座視しない」と言った。しかしそのニクソンはもういない。フォードだったのだ。理解できない思考停止だ。守るつもりのない相手をなぜ頼るのか?
・・僕は、今の日本国の話をしているわけではない・・
万策尽きたと考えたチュー大統領は指導者としての責任を放り出し、ャン・チエン・キエム首相とともに、4月21日海外逃亡をした。
その4日後・4月25日。サイゴン郊外にあったロクフン教会で演台に立ったグエン・カオ・キ将軍はこういった。
「サイゴン市民300万人のうち、50万人が武器を持ち侵攻してくるコンサンと戦えばよいのです。我々が死を覚悟して完全と立ち向かえばコンサンたちはひるみます。サイゴンを第二のレニングラードにすればいいのです。そうすればすべての世論が我々に味方します。」
サイゴンに残された指導者のひとり、グエン・カオ・キの熱い演説に教会は熱狂の歓声で包まれた。
「私も戦います!さあ、武器を持って町へ出よう! いま、戦いもせず国外へ逃げる者は卑怯者だ!!」彼はそう絶叫した。そう叫んだグエン・カオ・キは、29日未明、アメリカ軍のヘリコプターに乗り、さっさとベトナムを去った。そしてLAでスーパーマーケットのオーナーになった。大量の南ベトナム兵士と民衆が取り残された。彼らは死の恐怖に慄いた。
サイゴン東方に集結したコンサンたちが雪崩のように市内へ入ったのは29日の昼近いころ。抵抗する南側兵士はほとんどいなかった。もちろん旗を振って歓迎する民もまばらだ。市民は恐怖の目でその軍団を見つめた。古い銃器だけで果敢に戦う北ベトナム兵士・・というイメージは全く嘘だったことを市民はこのとき知った。コンサンたちの携帯する銃器も装備も最新で、戦車やジープ・軍用トラックも真新しく重々しいものばかりだったのだ。アメリカ軍が去ったあとの南ベトナム兵のほうがみすぼらしく見えるほどだった。「共産主義者の親切」を信じられない人々は、大通りを埋めるその数万人の隊列を避けながら、街から逃げ出そうと奔走した。