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本所話欄外書き込み/ナメクジと白石さんチ#01

志ん生の口述「びんぼう自慢」の中に"なめくじ長屋"というのが出てくる。
志ん生が暮らしていた業平あたりは、まだ湿地の風情そのままで、何しろ湿っぽいとこだった。なのでナメクジが多かった。同居者は無数のナメクジだったという。そして藪蚊が多かった。
同書を引用する。
『出るの出ねえのなんて、そんな生やさしいものじゃアありません。なにしろ、家ん中の壁なんてえものは、なめくじが這って歩いたあとが、銀色に光りかがやいている。今ならなんですよ、そっくりあの壁、切りとって、額ぶちへ入れて、美術の展覧会にでも出せば、それこそ一等当選まちがいなしてえことになるだろうと思うくらい、きれいでしたよ。
かかァが蚊帳の中で、腰巻一つで、赤ん坊ォおぶって、仕立物かなんかの内職をしていると、足の裏のかかとのところが痛くなったから、ハッとふりかえると、大きななめくじの野郎が吸いついてやがる。 なめくじがこんな助平なもんだとは、あたしゃァそれまで知らなかった。
なめくじといったって、そこいらにいるような可愛らしいのじゃァない。五寸(15cm)くらいもあって、背中に黒い筋かなんかはしっているのが、ふんぞりかえって歩いている。きっと、なめくじの中でも親分衆かいい兄ィ分なんでしょうねえ。
もうそんな奴になると、塩なんぞふりかけたってビクともしやしない、キりで突いたっててんでこたえない。血も出やしない。血も涙もねえ野郎ってえのは、きっとあァいう奴のことをいうんでしょう。 しようがねえから、そんなのを、毎朝、十能にしゃくっては、近くの溝川(どぶがわ)へ捨てに行くんだが、出てくる奴のほうが多いから、人間さまのほうがくたびれちまう。
夜なんぞ、ピシッピシッと鳴くんですよ。奴さんにすれば、歌でも歌ってるつもりだろうが、あいつは薄ッ気昧のわるいもんでしたよ。
なめくじは、別にあたしの家ばかりじゃあない。長屋じゅう同じなんですよ。一つしかない水道の回りに朝なんぞみんな集まっては、
「ひょっとすると、東京のなめくじが、みんなウチの長屋へ集まって来てんじゃないかねえ」
なんて話をしている。』
そのナメクジが、後年名を成した志ん生を喜んで、大挙して谷中の家にやってくる・・という話が続く。

東京市井の話をしようとすると、どうも「貧乏自慢」「伝法自慢」の話になってしまう。でないと、目鼻のないアメンボーを並べたような人心地のない字ぃばっかしが並んだ話になってしまう。むずかしいもんだ。
前述、芥川龍之介の、本所辺りは「江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的大勢住んでゐた町」という所感は、なかなか実感としてわかってもらえないものである。
ヒトなるものを形作っているモノの半分・塵芥(ちりあくた)は地祇のものだ。だから千切ろうとしても地祇との縁は切れない。だから逆に同じ地祇に繋がっていない人の話は、五臓六腑には入り難い・・ものだと思う。
例えばなンだけど、僕は森鴎外に最も感服しているが、共感は荷風のほうにする。万太郎には強く心動かされるが、与謝野晶子には感心するだけである。こればかりは何ともしよ~のないものなんだろうな。そう思う。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました