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パリ・マルシェ歩き#34/クリニャンクール03

https://www.youtube.com/watch?v=s63AZFwQcUQ

地下鉄12番Jules Joffrinから北西へ、ゆっくりな弧を描いて環状通りまでポト通りRue du Poteauが走る。
そして環状道路の手前で、トラムT3bを跨ぐ。環状道路まではおよそ1km強の距離である。
僕はこの通りが好きで、前々職時代ドイツ会社に就いていたころは、金曜日半休土日を利用してよくパリへ出かけていたのだが、ホテルはクリニャンクールの細い露地の奥にあるホテルを度々利用していた。いつも言うのだがホテルの選択基準はベッドバグが有無だった頃の話だ。30年以上も前の話である。
「普通に泥棒がいたよ」
「ホテルに泥棒が?!」
「ん。ボーっとして細い露地を歩いてるとひったくりや追い剥ぎに出くわした。ベトナム撤収直後のNYCみたいだった」
「追い剥ぎに遭ったことあるの?」
「ない。遭いそうになったことはある。NYCじゃホールドアップ食らったことあるが」
「なぜそんなにクリニャンクールは荒廃しちゃったの?パリの外側と云ってもパリなのに」
「ん~荒廃したのかなぁ。ティエールの壁の壁周辺内外はどうしてもはみ出された人々の町だったんだよ。でもそれがこの町の温かさや暮らしやすさだったんだけどね」
「ジャンゴ記念碑を見に行った時に言ってたわよね。パリを改造したときの労働者はこの周辺で生活していた。改造が終わった後、彼らは仕事先を失った、そして失ったまま此処に居着いた・・て」
「ん。貧乏は人を荒ませもするが、人を人情豊かにもするんだ。クリニャンクールは、その二つが折り重なった町だったんだよ。第二次世界大戦後、パリは傷だらけになりながら復興に進んだ。その復興が20年ごとのリセッションを起し、クリニャンクールはその影響を直接受けた地域だった」
「貧乏だったから?」
「ん。僕が知っている1990年初めのフランスは、世界全体を包んでいた経済的低迷を受けて、失業率が激増し、そのうえインフレーションの見舞われていたんだよ。GDPにこれははっきり表れていて、1993年はマイナスになっている。マイナスは1960年代以来だ。
フランス国内の企業は硬直化して売り上げを伸ばせなくなっていた。雇用創出できなかった。むしろ解雇で企業の倒産を防ぐ方向へ変わっていたんだ。
クリニャンクールは失業者に溢れてた。パリ改造終了後並みにだ。若年層が仕事に就けないでいた」
「そんなときに、あなたはパリにわざわざ出かけたの?」
「縁だな。僕のカルマが産み出した縁だ」
「またわけわからないこと言ってる」
「でも、そんなパリが好きだったよ。貧乏が貧乏を支えあうクリニャンクールが愛しくて好きだった」
「・・」嫁さんがため息をついた。
「そのリセッションが欧州統合の重要性を示したんだ。
同時に、フランス政府は公共投資を幾つも起こし、同時に財政赤字の削減を目指している。
大国フランスではなく小さな国フランスを目指したんだ。ドゴールがやったようにね。
同時に中央銀行は金利を引き下げた。通貨供給を増加させた。1994年以降、徐々に経済が回復したのは、こうした政策によってだ。そして1999年のユーロ導入へ進んでいくんだ」
「なんか話が大きくなって、よくわからなくなったわ。
よーするにクリニャンクールがとても貧乏な頃に、あなたはこの町に出会って、貧乏なことの優しさにあなたは愛しさを感じたのね。ん~やっぱり下総の人なのね、その血なのね、あなた」
「申し訳ないです」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました