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星と風と海流の民#13/満潮のナンマドール03

https://www.youtube.com/watch?v=v2Sy318SN5M

昼はボートへ戻って食事した。潮は完全に引き終わっていた。
「誰がすんでいたかというと」トシさんがエンサイマダEnsaymadaを齧りながらいった。
「王と兵士と神官だ」
「一般人は?」
「職人はいたかもしれない。人々はナンマドールの外に住んでいた。ナンマドールは聖なる宮殿だったんだよ。王が居て、それを兵士が守り、そして王は神なる存在で神官たちが傅いていた。それだけだ。とくに北東の方にある島々は神官たちが住んでいたという。それで彼らが何を食っていたかと言うと・・パンノキBreadfruitや貢物の果物だった。そして亀だ」
「亀?」
「ん。亀をそだてた池がある。亀の甲羅を集めた貝塚ならぬ亀塚がある。それとウナギだ。ウナギは神の使いだった。だからウナギ用の水路が有った。神官たちは、亀の内臓を彼らに与えていたという伝承がある。
・・しかし、ここへ来るたびに思うことがある」
「?」
「なぜこんな絶海の孤島に聖都市が作られて、それも数百年も残ったということだ。たしかにポナペは南太平洋を張り巡らしていた交易ルートのハブだった。しかし人々が巡礼できるような距離ではなかった。それにおそらく、ナンマドールの神官たちは貢物は受け取ったろうが、巡礼を受け入れたかどうかわからない。そんな設備はナンマドールにはない。なぜ彼らは王として神として君臨し続けたんだろう?」
「そうだな・・聖地は人里離れたところにあるもンだ。しかし僻地に有れば、自給自足している。ナンマドールが時給自走していたかどうか・・というと、これは疑わしいな。周辺からは何らかの理由で糧を得ていただろうな」
「それは宗教的な呪術的なパワーを示してか?」
「ん。おそらく王は兵を持っていただろう。しかし彼らが島を出て制圧に歩いたという記録はない。島内ではあったかもしれない。となると、彼らが売るのはもっぱら儀式だ。その儀式が交易ネットワークの中でうられていたんだろうな」
「なぜそんなことが何百年も続いたんだろう?」
「宗教の背景は、技術の先進性だよ。農耕の方法とか、天地気候を予測する経験的な知識とか、先進的な道具を作る技術とか、対立すれば敵わないほどの武器とか・・古代ガリアでローマのキリスト教団体が広まったのはまさにそのおかげだ。彼らはガリアの人々には奇跡としか見えないことを易々とやってみせたんだ」
「なるほどな。農耕の原始神ナニソン・サープウNahnisiin Sapwを携えてやってきた連中は、先住民より遥かに進歩した技術力をもっていたということか?・・しかし、彼らはどこからやってきたんだ?メラネシアからか?
マレーシア半島やパプアニューギニアから流れてきた、ポリネシア人になっていったオーストロネシア語族とは違う流れの人々なのか?」
「そうかもしれい・・でも僕は・・」

僕は、持っていた皿とフォークを置いて、リュックの中から本を出した。ヘイエルダールの「アクアク」である。
「なるほどな・・8000キロの旅か」
「ヘイエルダールは、イースターのイースター島Rapa Nuiは長耳族Hanau Eepeが支配していた。支配されていたのは短耳族Hanau Momokoだ。この二つが対立した。島内で戦争が起きた。趨勢は短耳族に流れた。そして長耳族は、沢山のバルサ材で作った大きなカヌーに乗って西の海に逃げた・・と言ってる」
「何時頃?」
「1600年代だろうと考古学者は言っている。もちろん諸説はある」
「なるほどな」
「イースターのモアイは長耳族が建てたと云われている。巨石を能くする。神官で魔術師の集団だ」

「その連中が8000kmの旅をしたのかもしれない・・というわけか」
「赤道南半球の海流は東から西に流れる。いわゆる太平洋南赤道海流と言う奴だ。流速は平均で時速720mから1800mだ」
「ということは、海流に乗るだけでイースターからポナペまでは来る・・ということか?8000kmを?」
「ん。5000日程度で」
「13年も漂流してか?」
「近年になってメキシコ、バハ・カリフォルニア半島でで日本の縄文土器と同じモノが沢山見つかっている。日本とアメリカ大陸西海岸は北太平洋海流で繋がっている。間違いなく縄文人はこの流れに乗ってメキシコ西海岸に流れているんだよ。彼らもアメリカまでは10年以上かかったはずだ」
「なんかすげぇ話だな」

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました