夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#27/ヴァケイラス#03
https://www.youtube.com/watch?v=4kA3eS_5_1U
オーナーご夫婦に送られながら僕らは再度グラン・ネンミライユ通りへ戻った。車中ムシュJの饒舌が続いた。ドメーヌ・ヴォベルDomaine Vaubelleはラベンダーの農園だったそうだ。それをワイン畑に替えたのは今のご夫婦の夫君らしい。第二次大戦直後のことらしい。彼の話の間から聞こえたのはフィロキセラとベト病のことだった。フロヴァンスは初期の段階でフィロキセラ渦に襲われた。
実は米国東海岸からフランスへフィロキセラ付きの葡萄の苗を持ち込んだのはラングドッグで畑を持っていたM・ジョセフ・アントワーヌ・ボーティ(M.Joseph Antoine Borty)という男だったからだ。1862年である。南仏の葡萄は1870年になるころにはほぼ全滅していた。フィロキセラ渦を越えて、再度ワインビジネスが商売になるのは20世紀も半ばになるまで難しかったからだ。
Domaine Vaubelleの先代が、畑をラベンダーから葡萄に替えたのは、きっとアメリカ種の根にヨーロッパ種の枝を刺すという接ぎ木法が安定し、心置きなく生産が出来ることになったからだろう‥そう思った。
そしてグランミライユ通りはりュ川Rueという小川を越えた。そしてT字路になる。右側にClos de CAVEAUの矢印看板が見えた。
「この奥にEarl céline et jean-pierre Faraud(Rte de Montmirail, 84190 Vacqueyras)が有ります」ムシュJが言った。
通りの名前は村に入るとモンミライユと名前を換えた。そして大きなヴェンゾン通りにRte de Vaisonにぶつかった。
「あ、先にこれを右折してください。観光センターOffice de Tourisme de Vacqueyras Ventoux-Provence(85 Rte de Carpentras, 84190 Vacqueyras)へ寄りたい」
観光センターの前にSUGGESTIONSの看板が有った。こごてもまたムシュJが率先してくれた。知己らしい受付のスタッフと歓談しながら山のようにパンフレットを集めてくれた。有難いような迷惑なような‥
「レストランはこのすぐ近くです」彼が言った。
Cafe Du Cours(Cr Stassart, 84190 Vacqueyras)+33490658708という。小ぶりないかにもフランスの片田舎にあるような店だった。
「この店の前にワインショップがあります。Caveau du Vacqueyras(125 Cr Stassart, 84190 Vacqueyras)という店です。ヴァケラスのワインはここですべて買えます。お勧めですよ」とのことだった。
https://www.caveau-vacqueyras.fr/
食事は普通に美味しかった。ワインは地元の白を頼んだ。気を利かせてくれたのか・・ちいさな甘口のワインが出た。これが滅法美味しかった。
「ヴァラケスは甘口ワインが有名なの?」嫁さんが言った。
「ん。生産量は少ない。メインはグルナッシュを使った赤だ。白もロゼもすくない。でもこうした甘口のワインはどの農家も必ず作ってるな」
「ふうん。シャトーヌフ・デ・パプでもジゴンダスにもなかったわよね」
「甘口ワインがこの辺りのワイン生産の先駆なんだ。モンペリエMontpellierって知ってるだろ?」
「リコリスLicoriceの町でしょ?カリソンCalissonが有名な」
「ああ、マルセイユの西だ。まあ焼き菓子類が有名だけどな。実はモンペリエはリキュールの町なんだ。あの町の輸出物は1000年以上甘口ワインとリキュールだった」
「へぇ、なるほどね。この技術が焼き菓子に活かされてるのね」
「ん。もちろんモンペリエのリキュールはワインをベースに作られている。・・なぜだと思う?なぜ醸造酒をわざわざ蒸留すると思う?」
「アルコール度数を高くするためでしょ?」
「ん。アンビカという蒸留器をつかう。発明したのはエジプト人だと云われてる。彼らは花の露を集めてこれを蒸留して香水を作ったんだ。この技術を利用してワインも蒸留した。始めたのはレバント海岸/地中海東海岸の人々だ。
実はワインは蒸留してアルコール度数を高くすると腐らなくなってしまうんだ。アルコールが雑菌を殺してしまうからな。
これに気が付いた船乗りたちが、挙ってワインに蒸留酒を加精するようになったんだ。これで航海中にワインは腐らなくなった。すごい発見だろ?この技術が北アフリカを経由してイベリア半島へ伝わった」
「それが西地中海に伝わったのね」
「ん」
「・・でも、それがヴァラケスとどんな関係があるの?」
「プロヴァンスの北でワインは地元で消費されるくらいしか作られなかった。交易の対象にはならなかったんだ」
「どうして?」
「運べない。方法は陸路しかない。それにワインは年越しすると極端に劣化する。シャトーヌフ・デ・パプでワインが作られるようになったのは、アヴィニヨンへ教皇庁が移転してニーズが出来たからなんだよ。もっと北のダンテル・ド・モンミライユ山塊丘陵麓には教皇庁のお鉢は回ってこなかった。麦作くらいしかニーズがなかったんだ。だからワイン造りはこの付近では産業にならなかったんだ。有っても近在に配って終わり・・だったわけだ」
「あ・それで・・甘口ワイン??」
「ん。そうだ。長期運搬に耐えるワインが編み出されるまでワインビジネスは成立しなかった・・というわけだ。モンペリエの香辛料入りワインとリキュールの成功が規範になったんだよ」
「誰がそんなこと考えたの?」
「領主だったオランジュ公だ。彼が産業振興を仕掛けたんだよ。僥倖はセパージュだ。ミュスカデとグルナッシュだ。ミュスカデもグルナッシュも北限が低い。ダンテル・ド・モンミライユ山塊より北になるとこの二つは育たないんだ。たしかにミストラルという大敵はある。しかし注意して守ればミュスカデもグルナッシュも充分育てられる。この葡萄の北限という条件が見事に当てはまったんだ」
「そんなことにオランジュ公は気が付いたの?」
「いや。彼が気が付いたのは長期輸送が可能な甘口ワインが北海沿岸経由でシャンパニュー大市やバーゼルでとても高値で売れることだ。そして事実。とても高い値段で売れた。
その長い伝統が今でも息づいていて、ヴァラケスは質の高い甘口ワインをいまでも作り続けているんだ。」