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星と風と海流の民#32/ラピタの文化と技術の後継者

華夏族が台頭し、その領土を拡大し始めたのはホロシーン気候最温暖期が終焉する時期(3000年前)に重なっている。とくに中原は気候変動を敏感に受ける地帯で、最温暖期の終焉は華夏族の拡大に少なからず強い影響を受けただろうと僕は考える。彼らが今のその勢力を潮州・・所謂"海陽"と言われた地域あるいは広東"南越"へ広げたとき、海岸域はオーストロネシア語族がいた。彼らは半農半漁を営んでいたが、航海技術の優れた人々だった。すでにアウトリガーカヌーやダブルカヌーを産み出しており、長距離航海が可能な技量を持っていたのだ。華夏族に追われた彼らが海に出たのは必然だろう。多くの人々が海岸沿いに海を通って南へ逃げた。そして一部の人々は渡り鳥を追って遥か海洋へ旅立った。

ラピタ文化を担った彼らは台湾、そしてフィリピンを経由し、インドネシア半島へ移住、スラウェシ、ボルネオ、ジャワ、スマトラなどのインドネシア諸島全域へ広がり、その後ニューギニアの沿岸部にも進出するようになっている。
その時、彼らは驚くべきことに出会った。彼らが移住した南域には、すでに先オーストロネシア人の末裔が暮らしていたのだ。この旧き近縁者たちは3000年も前・・伝説の彼方の頃、インドネシアやパプアへ定住し、メラネシア人の文化や遺伝的な融合を起して、独特の文化を生み出していたのである。言語的にも文化的にも近しい人々だ。しかし敵対的だった。
ラピタ人は、先オーストロネシア人より高度な陶器製作技術や大規模な航海ネットワークを持っていた。しかしそれでも彼らは無為な闘争より、太平洋の遠方に広がる島々へ移住先を選んだ。
そして、主にニューギニア、ビスマルク諸島、フィジー、トンガ、サモアなどへ生活の場を求めた。その拡大はフィジー、サモア、トンガなど西ポリネシアへと広がっていった。

彼らを祖型とするポリネシア人は、ラピタの文化と技術の後継者である。
ラピタ人から受け継がれた航海技術によって、ポリネシア人はさらにタヒチ、ハワイなど東ポリネシアへ広がった。そして精巧な航海カヌーを開発し、驚くべき長距離航海を得て、ポリネシア・トライアングルと呼ばれる広大な拡散を果たした。

そのポリネシア人が形成されるとともに、ラピタ人は1500年ほど前から次第に衰退へ向かった。
その特徴であるラピタ彩色土器は、土器を作る必然性を失うことで自然に消えてしまった。
そして、さらに東へ拡散するポリネシア人の時代になると、ひとつひとつの地域が隔絶していたこともあって次第に独自の人種的特徴を持つようになったことで、ラピタ人の血は薄まった。そして東部/北部へ広がる過程で、メラネシア人との接触が少なくなり、遺伝的な孤立が進み、独自の遺伝的特徴を持つようになったのである。

一般的にポリネシア人は、高身長で巨躯なのが特徴だ。これは、ポリネシア人が大洋航海に適応することで発展した特性かもしれない。
近年の遺伝子研究では、ポリネシア人の遺伝的背景が、東南アジア、メラネシア、ミクロネシアの混合によって構成されていることは分かっている。ただしメラネシア人との遺伝的な違いははっきりしており、東ポリネシアへ進出することで、さら遺伝的に孤立し、独自の人種としての形態が確立されたのだろうと云われている。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました