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パリ・マルシェ歩き#39/サン=トゥアン蚤の市04

https://www.youtube.com/watch?v=if712e-7H9w

ロジェ通りに並ぶ大きな蚤の市はマルシェ・ポール・ベールMarché Paul Bert(110 Rue des Rosiers, 93400 Saint-Ouen-sur-Seine)が終りになる。ここは雑然とバラックが並ぶ雰囲気ではない。
しばらくマルシェの中を散策した後、ロジェ通りへ戻った。
「パリ市内を追われてサン=トゥアンに移り住んだ廃品業者たちのことをPêcheurs de Luneと呼んだんだ。月の狩人だ」
「月の?」
「彼らは、パリ大改造で街の彼処に溢れかえったゴミを拾って歩いた。月明かりの中を街なかを徘徊しながらね。だから"月の狩人"だ。Pêcheursだから漁師だな彼らはそれを中古屋や修理屋に運んで売った」
「なるほどね」
「儲かりはしないが、充分生きていけるほどの生活は出来たんだろうな。"月の狩人"はパリ大改造の花々しい姿の後ろに出来た"昏い影"だ。たしかにパリ大改造でパリは目覚ましく進歩的な街へ大変革したけど、もともとそこに住んでいた貧民たちはどうだったろうか?彼らの生活の補填はほとんど考えられていなかったからね、素晴らしい建物が出来て、そこの高収入中産階級の人々が挙って住み始めた裏で、住むところを追われた貧民は路傍に溢れたんだよ。彼らが"月の狩人Pêcheurs de Lune"になったんだ」
「ひどい」
「ん。でもよくある話だ。NYCでの例を見ると、1995年ころからは始まった42丁目の大リニュアルだな」
「あ~憶えているわ。ポートオーソリティからブロードウェイあたりのことでしょ」
「ん。あの辺はポルノ・ストリートだった。それが数年かけてすべて廃業に追い込まれてオシャレな素敵な店に挿げ替えられたんだ」

「おかげで、42丁目は健全に観光地になったのよね」
「ん。仕掛けたのはジュリアーニとディズニーら巨大マーケットを持っている企業群だ。42丁目はストリートキッズの街だった。子供は産んでも育てられない親から食み出された子らが集まるところだった。子供たちは生きるために、女の子たちは売春婦になり、男の子たちはかっぱらいや泥棒になった。
42丁目は世の中からはみ出た子らが生きられる街だった。それが潰されたんだ。もちろんNYC市はそれなりの補填はした。しかし結局のところ子供たちは、サウスブロンクスへ強制移住された。凄惨な場所が42丁目から観光客は行かないサウスブロンクスに移っただけ・・だった」
「だから、あなたはディズニーが嫌いなのよね」
「いや違う。好き嫌いでいうなら、ディズニーは貧乏な子供たちが嫌い・・だということさ。僕は好きでも嫌いでもない。関わらないし、自分の子供たちにも買わないだけだ」
「子供たちは自分の子供たちに買ってるけどね」
「ん・・」

「なるほどねぇ。それが・・パリではpêcheurs de lune月の狩人だったのね」
「ん。でも彼らは貧乏だったけど凄惨ではなかった。狩人同志は棲み分けをして組合みたいな形を作っていた。やがて回収するだけではなく、自分たちでも泥棒市や蚤の市をやるようになった」
「逞しかったのね」
「パリ市は、それがうざかったんだろうな。金持ちは貧乏人は嫌いだ。施しをしてやるだけだ。貧乏人に優しいのは貧乏人だけだ。貧乏人は、貧乏の辛さをよく知ってるからね。
パリ大改造の終局点でもあった1885年に、彼らを一網打尽にしてティエールの壁の外へ追いやったんだよ。それがサン=トゥアン蚤の市の始まりだ。ニーズは有ったからね、月の狩人はサン=トゥアンに追い出されても充分生活は出来たんだろうな」
「なるほどねぇ」


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました