![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158728594/rectangle_large_type_2_0a7c68e705a77d190adc520b9a4b713a.jpeg?width=1200)
星と風と海流の民#41/グアムのチョモロ#03
"Kroeber's girls,"は、太平洋に広がった女性人類学者たちだった。そのフィールドワークの緻密さは、まさにクローバー博士の血そのままだった。
ローラ・トンプソンがホノルル・ビショップ博物館で民族学助手に就いたのは1929年。彼女は先ずマリアナ諸島のハンス・G・ホルンボステル・コレクションを担当した。
マリアナ諸島は、ハワイに渡るポリルシア人の始祖でもある。ビショップ博物館はハワイ人の始祖であるマリアナ諸島の人々に強く関心を向けていた。その意味でもハンス・G・ホルンボステルのコレクションは、きわめて重要なものだったのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1729447035-IcbS2oqJ4Fy9wRf0iVAnv6Ez.jpg?width=1200)
そのマリアナ諸島だが、第一次世界大戦が終わるまではドイツ領だった。アメリカ間統治国になったのはそれ以降だ。考古学者ハンス・G・ホルンボステルHans G. Hornbostelが当地を調査し、様々な遺品を収集しコレクションしたのは1920年代からで、マリアナ諸島が米国管理下に入った以降である。
彼が同地でコレクションしたのは以下のものだ。
①ラッテストーンそのものや、周辺から発見された道具や装飾品。
②マリアナ諸島で発見された土器や石器。
③そして装飾品や儀式用具など、である。
調査後、彼はコレクションをビショップ博物館をはじめ、米国内のさまざまな博物館へ寄贈している。
そのコレクションに、ローラはビショップ博物館職員として出会った。ローラは、このコレクションから「星と風と海流の民」に魅了された。そして、これがきっかけでローラは、グアム中南部フェナ地区にあるメポ村に出会ったのである。
彼女の最初のフィールドワークは南フィジーのラウ諸島だった。1933年である。その精緻な根気良い仕事ぶりを見て、グアムの海軍総督だったジョージ・アレン・アレクサンダーGeorge A. Alexander少将が、彼女を軍直属の民政用の顧問として抜擢した。1938年である。当時は女性研究者にその任を預けるほどの技量がアレクサンダー少将にあったということだ。彼女がグアムに残した業績は膨大なものだった。
そして1941年、グアムは日本に奪取された。ローラは、シカゴ大学・人間開発委員会へ移った。この時期、ローラはトホノ・オオダム族、ホピ族、ナバホ族、ズニ族、ダコタ族についての詳細なフィールドワークを残している。特にホピ族について強い関心を持ち、素晴らしい研究を幾つも残している。ホピ特有の、自然観/宇宙観そして共同体としての深い結びつきが、彼女に強い感動を与えたに違いない。
1943年、米軍は、戦況が大きく米軍へ傾いたところで、グアム奪還後、日本占領下でグアム島民が如何ほどの影響を受けたについての調査をローラに依頼した。ローラはこれを請けたが、心情的には米海軍が再度グアムを占領することには反対だった。チョモロは、チョモロとして我が島グアムを守るべきであると・・その活動の中で、ローラはメポ村のラテストーンの保管と保持に携わった・・わけである。たしかに完全な形ではなかった。しかしメポ村からは細心の注意を払って持ち出されてハガニアの広場に収められた。
![](https://assets.st-note.com/img/1729446977-965eqhErTyAilQtaC0FxWNMK.jpg?width=1200)
1953年。グアムの知事はフォード・クイント・エルヴィッジFord Quint Elvidge知事に代わった。連邦任命の2代目グアム知事である。彼はグアムの自治権を強化し、島のインフラ発展を推進した人だった。また同時にスペイン植民地時代の建造物の保存。そして島の歴史、民間伝承、地質学の調査に力を入れて、幾つかの委員会を設立している。その一環として彼はメポ村のラテストーンが置かれていた広場を整備し、ラテストーン公園として公開した。そして少しずつ整備を更新拡張し、現在に至っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1729447074-nOMLrkJawPB2vjeU8xXm3tYp.jpg?width=1200)
30分ほど公園を周回したところでRamon氏が時計を見ながら言った。
「まだ、間に合いますから、これからDededoのファーマーズ・マーケットへ行きましょう。チョモロの人々の露店が色々と並びます」
嫁さんが大喜びした。
「ここからは15分も有れば着きます」
Ramon氏のクルマは、もう一度D1に戻った。そしてタムニンの町とタモンを抜けた。
「14号のタモンビーチを通ったほうが楽しいのですが、マリンコアドライブを通ります。少し急ぎましょう」Ramon氏が言った。
![](https://assets.st-note.com/img/1729446869-QeEKAG4BJn5ymwYoN0fZ16LV.jpg?width=1200)
いいなと思ったら応援しよう!
![勝鬨美樹](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36347288/profile_28551ac02860f72347117b465cf9988e.jpg?width=600&crop=1:1,smart)