蒋経国という生き方#01/僕の好きな独裁者
「台湾指導者の中で、今でも一番人気は蒋経国だ。」
中山公園のすぐ傍にある湖南料理の店「1010湘」にいた。湖南地区の家庭料理をベースに極めて手の込んだ料理を饗するレストランだ。・・戦後の台湾を話すのに相応しい店かもしれない。此処は本土家庭料理に、積み重ねた台湾的な経験と切磋琢磨を重ね合わせている。正に対中融合の象徴だ。
「蒋経国?」
嫁さんは蒋経国を知らなかった。そうだろうな普通の日本人は、きっと蒋経国という稀な独裁者を知らないないだろうな・・そう思った。
「蒋介石の長男だ。」
「宋家の三姉妹とのお子さん?」
「いや。宋美齢の子ではない。蒋介石と宋美齢の間に子はない。一番最初の妻/毛福梅の子だ。毛福梅は蒋介石と同郷の金持ちの娘だった。多分に政略な動機の婚姻だった。しかしまちがいなく糟糠の妻だった。毛福梅は蒋介石に翻弄された人生を送った人だ。」
「私みたいね・・」
「まあ、そう言うな。好い事もあったろ。」
「それって本人がいうことじゃないわよ。言うなら、すいませんよ。」
「すいません。・・で。蒋経国だが。」
「ふうん、蒋経国ねぇ~もう少し糟糠の妻の話をしたいけど。」
「蒋経国もまた蒋介石の激動の人生に巻き込まれて翻弄された人生だった。蒋介石はサクセスしていくと、毛福梅が鬱ましくなった。21年に離婚している。同時に蒋介石はすぐさま蒋経国を上海へ連れ出している。蒋経国11才のときだ。」
「親の事情でお母さんから引き剥がされたのね。」
「ん。だからと云って常に父の許に居られた訳ではない。その反動だろう。中学時代、彼は530事件のデモに参加している。」
「530事件?」
「前に話したろ。横光利一が書いた小説『上海』のこと。あの事件だ」
「あ。あれ・・でもあれって蒋介石が大きく関与していたんでしょ?」
「ん。そのデモに長男蒋経国がデモ側指導者として参加していたんだ。」
「それってマズいんじゃないの?」
「そうだな。これが原因で蒋経国は中学を退学させられている。父は自我の目覚めと共に反抗的になった息子に悩んだかもしれない。その530事件のあった年、蒋経国はモスクワへ留学を命じた。蒋経国は15才だった。
これも多分に政略的な理由だった。蒋経国は従うしかなかった。」
「人質?」
「ん。留学という名目だったが・・実質的な人質だ。」
「このモスクワ時代。蒋経国は塗炭の苦しみを舐めた。しかしこのモスクワ留学が彼の人間形成の根本になったんだ。たしかに共産主義の洗礼は受けた。しかしその呪縛から放たれたのは早かった。それでも彼は生涯ロシア料理を愛し、ロシア的宴会を好んだんだ。
生涯の伴侶になったファイナ・イパーチエヴナ・ヴァフレヴァとも、蒋経国はモスクワで出会っている。」
「奥さんはロシアの人だったの?」
「ん。二人はウラル川沿いの工場で労働奉仕しているときに出会った。ファイナもまた時代に翻弄された人でね。ロシア貴族の子女だったが革命で零落したのちは陋巷に生きた人だ。二人は生涯相思相愛の夫婦だった。この二人の関係が、とてもよく蒋経国の本質を表していると僕は思うな。」