蒋経国という生き方#03/啼いて旅人を喰らう
1945年8月抗日の時は終わった。しかし抗共は泥沼のように続いた。戦線維持のために乱発した貨幣が、次第に蒋介石/国民政府の首を締め付けていた。戦争で勝った蒋介石は経済で負けようとしていた。
蒋介石は窮地回復のため息子/蒋経国を上海経済督導員に任命した。蒋経国は経済の専門家ではない。軍事教練の教育者だ。それでも父の命令ならば従うしかない。1948年8月。彼は上海に入ると、かなり強引な財政管理、経済管理を実行した。熟考した結果、それしかない・・と思ったのだろう。
彼は、まず現行紙幣の使用を停止した。そして新元札を発行した。そして人々が所有している金銀外貨をすべて強制兌換するように命令した。
これが資産家たちからの反撥を生んだ。上海は浙江財閥のテリトリーである。蒋介石夫人の宋美齢と深い繋がりがある財閥だ。蒋介石は、裏から表から彼から徹底的な嫌がらせをうけた。・・三ヶ月だった。蒋経国が実行した物価統制、金元券改革などの経済改革は、ズルズルと瓦解した。蒋経国は絶望に沈んだ。
国共内戦の趨勢は決まりつつあった。蒋介石/国民政府は連戦連敗し統治できる地は激減していた。彼が篭城の地として台湾を見たのは、おそらくこの時期からだろう。
1 948年12月。蒋経国は国民党台湾党部主任となる。しかし彼が台湾に赴くことはなかった。
「蒋介石は最後の砦として、かなり早い時期から台湾を見ていたと僕は思う。」
「どうしてなの?」
「資産の移動を蒋経国を命令していたんだ。そのための台湾党部主任だった。アメリカ側との窓口も蒋経国が掌っていたからな。彼は連合軍からの援助物資の受け取り拠点を1949年初めから台湾に少しずつ移動させている。これが表ざたになれば、大陸側に拠点を置くしかない国民党員から猛烈な反撥を買うのは必至だ。きわめてデリケートな、そして秘密裏に行わなければならない。蒋経国は全身全霊を賭けてこの任に就いた。」
「奥さんは?」
「当時は上海にいた。」
「お母さんは?」
「ん。母・毛福梅は蒋経国がファイナと子供を連れて帰郷した翌年1939年に亡くなっている。日本軍の空爆を受けて倒壊した建物の下敷きになって死んだんだ。」
「え~!」
「蒋経国は慟哭した。そして母の亡くなった所に『以血洗血』と墨書した。これが石碑になった。」
「血を以って血を洗う・・哀しい言葉ね。」
「彼が、我が妻我が子のために鬼子母神となる決意をしたのはこのときかもしれない。」
「鬼子母神って・・あの鬼子母神?」
「そう。我が子に乳を与えるために、旅人を襲って喰らった母だ。母は啼きながら旅人を喰らったという。特務時代の蒋経国は血も涙もない鬼神だ。彼はオノレに蒋介石に仇名す者を、容赦なく殺しまくった。味方も敵も咎なき人も、怪しければ殺した。まさに悪魔の業だ。」
「・・鬼子母神。」
嫁さんが、ナイフとフォークを置いて小さく溜息をついた。花めくレストランでする話題じゃないな・・そう思った。
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