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小説特殊慰安施設協会#41/餓えの冬と戦うサムズ大佐#02

9月17日・月曜日、小雨の中、GHQ公衆衛生局は横浜税関ビルから大手町農林省ビルへ移転した。サムズサムズ大佐は宿舎を帝国ホテルへ移動させた。移動したその日、サムズは帝国ホテルの水道の水質検査を司令している。同時にネズミ駆除の実態についても報告を命令している。人心地ついたところで、同日第一生命会館6階に執務室を移したマッカーサーから呼び出しを受けた。尋ねたのは夕方だった。

マッカーサーは、サムズに椅子に着くように言うと『どうだね、日本は?』と聞いた。
『はい。まだ赴任して2週間ですかサムズしく断定はできませんが、総じて日本の官吏が非協力的で反抗的なことに戸惑っています。』とサムズは言った。
 マッカーサーは黙ったままだった。サムズは続けた。 
『閣下の絶大な努力によって、日本国は本土決戦を逃れました。これは閣下の最も称賛すべき業績でございますが、日本の官吏にはそれが、良い方向へと影響していないように感じました。』
マッカーサーは、なおも黙ったままだった.
『ドイツの官吏たちは、目の前で戦闘が起き、自らも武器を持ち血を流し傷つきました。だからこそ戦後の復興を我々とともに築くという意思を抱いたように思います。日本の官吏にはそれが根本的にございません。彼らは自らをただの被害者だと思っている部分があります。自分たちもまた加害者だったという意識がございません。それが潜在的な反抗心になっているように感じました。』
 マッカーサーは言った。
 『公衆衛生局は、どのビルに移ったのかね?』
『丸の内の農林省ビルです。』
『早い時期に、オフィスを此処へ移したまえ。民政局が完全バックアップできる体制にしょう。』
 その一言で、GHQ公衆衛生局は、第一生命会館1階へ移転が決まった。移転したのはその週末9月21日だった。 

1945年10月になると、全国紙に「この冬は2000万人の餓死者が出るだろう」という記事が載るようになった。自助回復は不可能と見た日本政府は10月26日、GHQ本部へ食糧援助の嘆願を出している。対応したのはPH&Wのサムズ大佐だった。

彼はこの嘆願書を受け取る数日前に、上野の地下道の見聞を行っている。そしてその時のことを、サムズ大佐は報告書で「自分のそれまでの人生で、最も恐ろしい光景だった」と書いている。
冷たく湿った薄暗い地下道には、数千人の人間が横たわり、呻き、あるいは蹲り、絶望に染まっていた。サムズ大佐は、その人々の間を掻き分けるように進んだ。そして時折立ち止まり、横たわる者を往診した。原因は飢餓だけではない。伝染病が地下道全域に蔓延していたのだ。サムズ大佐は本部に戻ると、すぐに救助対策を指示した。食糧・医薬品・衣料が大量に地下道へ届けると共に、数名のPH&Wの医師を派遣するよう指示を出した。

その数日後、日本政府が食糧"だけ"の援助を嘆願してきたのだ。サムズ大佐は烈火のごとく怒った。「今すぐすべきは、食糧の提供と共に防疫対策である。自国民に何ら防疫対策を施そうとしない日本政府が、何をほざくのか! 街へ出ろ! 民を見ろ!と。
全く不甲斐ない日本政府と他力本願なメディアに厳しい言葉をぶつけながらも、サムズ大佐は米本国の国際飢餓救済委員会に依頼して、より多くの食料と衣料品を確保しようと躍起になって動いた。

・・その冬、飢餓はドイツでもイタリアでも起きている。
戦勝者側である連合国側は、こうした三国に蔓延する「餓えと疾病」について、「人道的な理由」によって精力的に対応していた。しかしその対応の姿勢は、大西洋側と太平洋側では大きくズレが有った。欧州は彼らのルーツだ。しかしアジアは違う。彼らにとって、所詮アジアは非キリスト教徒の国であり、土人の国なのだ。
サムズ大佐は、この理不尽な差別(区別?)に敢然と挑んでいたのである。
当時、国際飢餓救済委員会の委員長は、フーバー元大統領である。サムズ大佐は、第八軍アイケルバーガー中将を通してフーバーにこうした差別を是正するよう直談判までしている。フーバーは、サムズ大佐の真摯な姿勢を認め、日本の飢餓と防疫のために惜しみなく援助する約束した。・・しかし、それでも必要量には程遠かった。その孤軍奮闘するサムズ大佐を見かねて、マニラにストックしていた兵站の中から相当量の食糧を、アイケルバーガー中将はマッカーサーの許可を得て、本国に報告しないまま日本へ送っている。

12月21日。サムズ大佐は、GHQ本部第一生命ビル一階で、初めて日本人記者を相手に記者会見を行っている。その席で彼は言った。
『新聞は、日本人の飢餓は食糧を充分提供しない米側の責任とばかり記事を書くが、日本を戦争に追い込んだ日本政府の態度はどうなのか。日本政府には混乱期の準備が全くない。誰も何も責任は取りたくないのか。』サムズ大佐の言葉は厳しかった。
実は・・そのサムズ大佐が日本人の飢餓と共に恐れていたのことがある。
それは、この地での最初のクリスマスだ。帰国できないまま、この地でクリスマスを迎える兵士たちのことだ。サムズ大佐は、彼らの暴発を恐れていた。悲しいことに、このサムズ大佐の予感は的中した。米兵の性病罹患者は、12月と翌年1月で、ほぼ2倍に膨れ上がったのだ。 

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました