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勝鬨新古細工#03/勝どきの交番のこと

勝どき南詰の交番は、僕ら夫婦が帰る頃は酔客相手のタクシーの駆込み場所になる。夜の仕事の大半がそれなんだろうなと思うほど、年がら年中だ。
それで、そんな様子を横目で見ながら信号を渡ってるうちに、そういやムカシはどうだったんだろう?と思い始めた。僕が中学の時は、交番はあの場所じゃなかった。角じゃなくて、少し西仲通りを奥まったところにあった。
そう思ってたら???が一杯湧き上がってきた。
交番ってさ。大都市の場合、番所が有った場所をそのまま流用したケースが多かったんだろ?此処に番所が有ったんだろうか?あるわきゃない。月島(一部が勝どきと名称変更した)は、隅田川の河口に出来た大きな土砂の堆積を利用して作られた埋立地だ。石川島播磨のための家内手工業の職人を住まわせる/仕事をさせるために作った土地だ。既に番所という制度は無くなっていたはずだ。
もともと交番というのは、明治10年頃出来上がった方法で、最初は詰所なんか無かった。詰所になったのは明治14年頃、東京府内には320か所。警邏は1920名だったと記録が残っている。
で。工業振興地だった月島に、はたして交番が有ったのか?
気になるので急いで大正時代の地図を広げてみた。 

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月島には無いね。
新佃には、月島署がある。交番の表示はない。
石川島播磨の為の警察署だろう。
交番は設置されていないようだ。
ま。それにまだ西仲橋が無いから、月島川の向こうは倉庫だった。
地の子供たちのための小学校は有ったが、それ以外は倉庫ばかりだ。交番なんかいらなかったんだろうか?
地図の不備だかどうか、セカンドオピニオンが無いので確認しようがないが、少なくともこの地図上には交番はない・・ついでだから昭和に入ってからの地図も調べてみることにした。んんんん。こんなことしてると店いけない。。
昭和10年の地図を見ると、西仲橋はある。まだ勝どき橋はかかっていないが、橋の為の道路整備はされており、今の形になり始めている。 しかし・・交番は南詰のところには無い。
有るのは月島橋の所と、9丁目のところだ。
写真は、昭和11年のもの。勝どき橋の工事が始まっている。 

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築地側の道路はまだ出来上がっていない。
おそらく思うのだが、勝どき橋の竣工と共に南詰に交番を置いたのではないか? これについては、後日調べてみたい・・も店行こ

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました