石油の話#20/月と砂漠とラクダの民
旧オスマン帝国の一部だった「月と砂漠とラクダとその民」しかなかったアラビアが"大地の血"ともいえる石油がにじみ出る場所であるとわかったのは、20世紀に入ってからでした。見出したのは、血眼になって「地の血液」吸い取りたい奴らによって・・でした。
こうして「安らぎの砂漠」は吸血鬼のような欧州/米国が跋扈する地になったのです。
幸いにもナチスやファシストたちの歯牙にはかからなかったものの、第一次世界大戦/第二次世界大戦を跨いで、所謂「赤線地帯」アラビア半島は全て、吸血鬼らが"大地の血"石油を思うがままに吸い取る地になっていきました。
「月と砂漠とラクダとその民ら」は砂漠の民は部族単位で小さく分かれて、あるところでは棲み分けされ、あるところでは拮抗し部族間紛争に明け暮れていました。そうやって、彼らは数千年、自分たちの文化と生活を維持していたのです。
あまりにも瘦せた土地です。土地が背負える人の数は少ない。その少ないところへ周辺から吹き溜まりのように流れ込む・・「エデンの東」状態の地だったのです。
そこへ・・まるで「欲」そのもののように大地から石油が噴出したわけです。
その「欲」に群がったのが欧米の吸血鬼たちでした。・・彼らは、自らに靡くある特定の部族だけを所有者"王族"と認め、真の土地の持ち主としたのです。そしてその自分らが定めた王に、雀の涙だったが金を支払いました。
こうして「砂漠の民」は、何もしなくても「金」が入ってくる旨味を知った・・あとは、転がるように、簒奪者と同じ欲に塗れていくのです。
そして欧州で「同類相い喰む」第二次世界大戦がはじまりました。
しかし結果として見ると、これが欧州/とくに英国を疲弊させました。結局のところは自国の中では戦場が生まれなかったアメリカだけが圧倒的な「漁夫の利」を得たわけです。
一方「月と砂漠とラクダ」の民は、この欧州の疲弊に乗じました。"この地は我らのもの也"いうナショナリズム勢力と「国王をもつ英国的議会主義」という、いかにも"文民"なら文句を唱えようのない美味しい話を標榜して、次から次へ「石油国有化法」を独自に可決したのです。もちろん陰に暗躍したのは、弱小国の独立が何よりも利益に舐め基軸通貨圏を握っている米国でした。・・これもまた第二次世界大戦が産んだ、もう一つの「漁夫の利」であったことは間違いありません。中東では、とくにそれが顕著でした。
そして1946年半ば、AIOC/Anglo-Iranian Oil Company内でイラン人労働者によるデモが起きました。初めての英国への反旗です。これがきっかけとしてイランは労働法が制定しましたたが、AIOC/英国は権益を守るために国王モハマッド・レザーをたらし込み、軍事による国民の押さえつけと参政権を剥奪する仕掛けを作りました。・・実はこのAIOCのデモを裏で操っていたのもアメリカでした。アメリカは中東での石油利権を欧州各国の疲弊に乗じて我が物にしようと画策していたのです。しかし、そのアメリカの傀儡だったカワーム首相は失権し、1947年12月29日に英国の傀儡だったハキミーが首相に任命され、1949年5月4日に議員の半数を国王が直接選出できる上院が議会に創設されてしまいました。こうして、国王モハマッド・レザーは英国というオオカミの皮を被った羊と化したのでした。しかし民はそれを許さなかった。なぜか?もうひとつ「共産主義」という伏兵が、陰に潜んでいたのです。
49年2月、パフラヴィー国王暗殺未遂事件が起きました。これが大きな転機となりました。「反共」を旗頭にするアメリカが足を忍ばせて、オノレの利権を伸ばすために公然と入り込んできたのです。
この新興勢力の影におびえた英国は、なりふり構わず内政干渉を行いました。しかしそれは逆効果とでした。人々は怒り、イラン・ナショナリズム勢力のリーダー的存在であったモサデクが政権を奪取し、AIOCをそのものを国有化させてしまったのですむ。
僕は、アメリカは強引な英国によるイラン内政干渉がもたらす結果を予見していただろうと思うのです。アメリカは英国とイランの間に仲介役として入りましたが、その論旨はイラン国営企業とAIOCの共存でした。そんなことは不可能なことは一目瞭然です。両者の生産力の差は一目瞭然だからです。イランは、最初からすべてを英国から取り上げるつもりでいたのです。そんなことは、馬鹿でもわかる。それでもアメリカはそれを伸う伸うとと唱えたのです。
実は、同じような仲介をアメリカは、マーシャルを使って毛沢東と蒋介石の間でも行っています。アメリカの対外戦略はいつでも腹の中にイチモツがあるものだということ・・これを忘れてはいけない。
ですよ?石破さん(笑)