見出し画像

星と風と海流の民#29/ラピタの地・バヌアツ国立博物館02

特有な彩色土器を持つラピタ人は、半農半漁の人々だった。卓越した操船術を持ち、航海カヌーを駆使することで、彼らは遠距離交易ネットワークを持っていた。彼らは「閩」とよばれてた地区(今の福建州あたり)に、その安寧の地を築いていた。・・彼らがその地を追われたのは、前述したように華夏族の台頭のためだろう。灌漑技術が華夏族を強大化させ、周辺の土地はその武力によって、暫時征服されたのである。南越の人々は南へ逃げた。「閩」の人も島嶼へ、あるいは南へ逃げた。
これがラピタ人の歴史の始まりとなった。

もちろん大国化したのは華夏族だけではない。紀元前2000年ころは、一部の国が卓越台頭する世紀だったのだ。そして強者と化した者は驕慢になり支配地を拡充する。その制圧に弱者は隷属化するか逃れるしかなかった。
太平洋西海岸の隼人たちは何れも秀逸な航海者だった。彼らは、自由と安寧を求めて南太平洋の広大な海域を跨ぎメラネシア、ポリネシア、ミクロネシアの島々に広がっていったのである。
しかし、島々には既に住んでいた先住民つまりパプア系の人々がいた。これらの先住民はオーストラロイド系の人々であり、黒い肌や縮れた髪などの特徴を持っていた。ラピタ人とパプア系住民の混血することで、ラピタ人の特性は次第に失速した。そして彩色土器を作らなくなっていった。文化も体型も曖昧になっていった。

バヌアツ諸島のパプア人系統は、ユーラシア東部南方系統である。ユーラシア東部世界は、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内だ。その系統の中にラピタ人は混ざり最終的には吸収されてしまった。
その系統的経過を見ると・・僕は、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統内の南北両系統と、ユーラシア東部南方系統との複雑な相互作用により形成されていく日本列島のヒト集団に似ているように感じる。
それでも言語的には、先達人々がオーストロネシア語族だったこともあり、その言語構造は維持されたまま今に至っている。これも日本語に似ていると・・と思った。

バヌアツ国立博物館Vanuatu National Museumで出会える「ラピタの残り香」は少なかった。主題はパプア人の血流を語るものだった。ぐるりと全体を見たあと、博物館を出た。
玄関に、ヤンのAMGが停まっていた。
僕が手を挙げると、彼がドアを開けてくれた。
「エンジョイしたか?」
「ああ。面白かった」
「砂鉄の礫州より・・か?」彼は笑った。
「ん。たしかに・・」
ヤンのクルマは飛行場へ向かった。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました