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石油の話#17/ロックフェラーの醒めた視線
たしかに灯油ランプを作り上げたのは欧州でしたが、そのために利用する石油を精錬し、灯油として販売する方法は、アメリカが練り上げたものでした。灯油用の専用ランプを開発したのもアメリカでした。新しい商材は新しい市場で、瞬く間に拡大し巨大化したのです。そして、そこには新しい機会を求めてアメリカ大陸へ移民した人々の夢と挫折が、無数に織りこまれていったわけです。ジョン・ロックフェラーもその中の一人でした。
彼は1839年、ニューヨーク州リッチフォードに生まれています。父母はドイツ系の移民で、父は行商人でした。家庭はバプテスト派のプロテスタントであり、彼はその思想の中で育ちました。
彼がビジネスの世界へ足を踏み入れたのは1855年のことでした。16歳の時です。彼は会計事務所に勤め、そこで財務管理の基礎を学びました。彼が自立を考えたのは1863年です。彼はオハイオ州クリーブランドで石油精製業を起こしました。
彼のビジネス論理は単純で力強いものでした。
根本は「誰よりも安く・より良いものを」でした。彼の販売する灯油は他社よりも安く市場で売られました。しかし競争が激しくなると、彼は「安くて良いもの」だけでは売れない。売るための仕掛けを「より安い方法へ」変えなければならないと考えました。それで彼は鉄道会社と交渉し輸送費を他社よりも大幅に引き下げさせたのです。これが彼の灯油に圧倒的な価格競争力をもたらしました。しかし。この方法は無数の敵を生みました。他の精製業者は鉄道会社に「不公平だ」と抗議し「我々の搬送コストも下げろ」とねじ込んだのです。ロックフェラーは黙ってその事態を見たりはしませんでした。彼は、反対する企業を訪ね「経営的に苦しければ、ぜひあなたの会社を買収したい」と持ちかけたのです。拒否すれば「価格競争で潰してやる」と冷淡に告げました。そしてそれを実行したのです。その圧力に、競争に勝てる自信のない業者は次々と彼の申し出を受け入れました。その強引なやり方で、彼はクリーブランドの精製業者のほぼ全てを短時間で支配下に置いてしまいました。
そのビジネスマインドは、バプティストの精神が深く根付いていると僕は思います。バプティスト派の倹約、勤勉、誠実、慈善、禁欲といった要素は、富を得ることは神の意思に従うと言ことに繋がっています。働くことそのものが神の意思に従う行為で、誠実な働きと努力こそが神の意志であり、それが富を生むとしたのです。
彼は、弱者が淘汰されるのは自然の摂理であり、神の秩序に従うことだと見なしました。勝つ者が正しく、その事実が「神の意志の発現」だとしました。従って「価格競争に勝てないなら、私が買収する」という論理は、彼にとって全く正しく神の意志に従った行為だったわけです。
彼の戦略は容赦ありませんでした。価格戦争を仕掛け、ライバルを次々と市場から排除しました。産業スパイを送り込み、競合の戦略を探りました。さらに、敵対する企業の評判を落とすため、新聞にゴシップを流し、政治家に賄賂を渡して有利な規制を敷きました。1870年代から1880年代にかけて、彼はアメリカ石油業界を完全に支配しています。
ちなみにですね。彼のビジネスロジックは、いまのアメリカ式ビジネスロジックのスタンダードでもあります。「ビジネスは非情なもの」「ビジネスだから」という論理です。実はロックフェラーは、自分のビジネスを「非情だ」とは思っていません。強者が弱者に勝つことは、神の意志であり神の思いやりだと思っているのです。神なき者がその論旨だけを真似するのは噴飯であり危険です。自分は存在しないと言い張っている悪魔の論理に酷似しています。
その野心はアメリカ国内にとどまりませんでした。彼の次なる標的は欧州でした。当時の欧州では、鯨油やロウソクが主流でしたが、灯油ランプが普及し始めていました。彼は全力を欧州へ向けました。
しかし、そこにはすでにロシア・バクーたちの石油業者がいました。バクー産の灯油はオハイオ産より硫黄分が少なく、品質が良かったのです。そのため、ヨーロッパの消費者は、ふつうにアメリカ製ではなくバクー産を選んでしまいます。
ここでもロックフェラーの対抗策は、手練れた価格破壊でした。バクー産よりもさらに安い価格でヨーロッパ市場に製品を送り込み、市場を奪い取ろうとしたのです。同時に販売網を強化し、ヨーロッパ各地に代理店を設置しました。販売店には「スタンダード・オイル以外の製品を扱えば取引停止」と通告しました。
そして情報戦も仕掛けました。「バクー産の灯油には不純物が多く、健康に悪い」という風評を流し、新聞広告で「最も純粋な灯油はスタンダード・オイル製」と宣伝しました。まさに賄賂、スパイ、価格戦争、ゴシップ戦略で、ロックフェラーは容赦なく、そして的確にマーケットを我が物にしようとしたのです。
こうしてスタンダード・オイルは新旧世界の市場を席巻し、ジョン・ロックフェラーは、まさに「石油王」として欧米に君臨することとなりました。
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