熊野結縁#08/薫禮八咫烏に逢う
新宮の駅までは乗り継いで7時間ほど、昼前に着いた。京都奈良の貴人はこれに10日を費やした。熊野詣の善人たちはひと月をかけた。その路をただ7時間で済ませてしまう申し訳なさを心の隅に起き乍ら、僕ら夫婦はいま熊野速玉大社に佇でいる。
先達さんは土地の鏝絵師・平野薫禮さんだ。わざわざホテルまで迎えに来ていただいて彼女のクルマで10分ほど離れた市の外れにある熊野速玉大社を訪ねたのである。どこまでラクしようというのか?罰当たりな参詣者だが、古木那岐はそんな我ら夫婦を静かに迎えてくれた。
静謐なお社だ。
「お天気は夕方まで持ちそうですね」薫禮さんがおっしゃった。
それは鬱蒼と茂る那岐の木の向こうに見える空のことである。熊野の山中に居を構え、畑を作り鶏を育て、冬は星をいただいて白い息を吐きつつ、夏は刺す陽を板塀で避けながら訥々と鏝絵を作る彼女から出る言葉は、生きる知恵に満ちている。ことたまを感じる。薫禮さんは、僕ら夫婦のはじめての速玉さん詣が"藤の雨"の中になることを心配してくれていたのだ。雨中の移動になるようでしたらクルマをだしますよ、とおっしゃってくれていた。
「帰りまではもちそうですね」僕は言った。
くまの飛雨 肩を濡らして 漁夫樵夫
そんな姿を幻視した。僕ら夫婦は漁夫樵夫ほど精悍ではないが、薫禮さんは充分・・女性にこんな言葉は失礼だろうが・・鈍色のたくましさを感じた。漆喰の灰色/鈍色のような。
そんな彼女の創った八咫烏が速玉大社には奉納されている。
実は・・僕らはその御姿を参拝するために来たのだ。
薫禮八咫烏は本殿の中に鎮座していた。
僕ら夫婦は二礼二拍手一礼した。
願うは全ての人々の安寧と、いま在ることの感謝だ。
心が洗われるようだった。
逢いたさは 幼な心の 八咫烏
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました