見出し画像

小説特殊慰安施設協会#15/1-3特殊慰安施設協会

理事と別れると、ヤミ市は、そのまま松田が案内してくれた。
店を出している人たち全員が松田を知っていた。松田は親しく彼らと話しながら手際よく小美世と千鶴子の買い物を手伝った。そして別れ際、ゲンに「何か売り買いしたいものが出たときは、吉三に言ってくれな。俺が何とかするから」と微笑みながら言った。

ゲンは恐縮して「ありがとうございます。」と頭を下げた。ゲンは、松田と一緒に露店の中を歩いているうちに、彼の大物ぶりに驚嘆してしまっていた。
松田と別れて三人は、そのまま裏道から第一国道に出て、新橋を渡った。歩きながら小美世が振り返らないまま言った。「ヤクザじゃないわね。あの松田って人」
「吉さんが言ってたよ。南方から復員した人なんだって。」ゲンが言った。
「それにしても、ただの兵隊さんじゃないだろう。ただの兵隊さんにあの人捌きは出来ないよ。人望もあるしね。」
「あのヤミ市をまとめて、ちゃんとした会社にするってた。」
「会社にねぇ。会社になれるかねぇ」今度は小美世は振り返りながら言った。 小美世が危惧した通り、新橋のヤミ市をまとめていた松田義一は、その組織を会社法人にはできなかった。結局のところ、無許可の飲食と闇物資を、不法占拠の場所で烏合の衆の取りまとめである。たしかに警察から口頭では承認を請け、地元の有力者からは支持を受けていたが、合法的な組織にするのは不可能だった。
10月14日、地場のヤクザだった竹下組の跡目を取る形で、松田義一は「松田組」を起こしている。

三人は銀座通りを歩いていた。
特殊慰安婦協会の事務所が入っている幸楽ビルの前に大きな看板が出ているのに気が付いたのはゲンだった。三人は看板の前に立ち止まった。

《女子事務員募集! 
年齢18歳以上25歳まで。宿舎、被服、食糧全部当方支給。
新日本女性に告ぐ!
戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を望む》

事務所は開いていた。隣の日本ビールもドアが開け放れていて内装工事の真っ最中だった。ゲンが中に入って行った。 「おう萬田さん。買い物かい。」入口のそばにいた若い男が千鶴子を見て声をかけた。
「おつかれさまです。申し訳ありません。私だけお休みをいただいて」
「男どもは休みなしだよ。」若い男が言った。
「この看板は?」
「雨やんだからな。慰安部が今朝から出したんだよ。月曜日から本格的に募集を始めるそうだ。それで慰安部は、今日は女子事務員以外は全員出社でその受け入れ準備でテンテコ舞いさ。」
「・・・そうですか。キャバレー部の方は、どなたか出ていらっしゃいますか?」
「・・いや、隣のビヤホールの担当連中だけだな。あ。林部長は出てる。」
「部長が」
「林部長は何時だって誰よりも早く出社して仕事してるし、みんなが帰った後も仕事してるからなぁ。俺たちには、まるで会社に住んでるように見えるよ。」そう言いながら二階を指した。「挨拶していくかい?」
「いえ、仕事のお邪魔になるといけませんから。」
「ははは。そうだな。山のような書類の中で猛烈な勢いでタイプしてるからな、今行ったら、巻き込まれて萬田さんも帰れなくなる。」若い男が言った。
ビヤホールの方から、ペコペコとお辞儀をしながらゲンが出てきた。
「失礼します。お邪魔してごめんなさい」千鶴子が頭を下げた。一緒に小美世も深く頭を下げた。小美世の視線がチラリと入口に立てかけられている大看板に戻った。
三人はそのまま銀座通りを歩いた。
「新日本女性ねぇ。」小美世が独り言のように言った。千鶴子は胸がキュッとしまるような気がした。
「たしかに吉原も洲崎も燃えちゃったからねぇ。いまが狙い目なのかもしれないねぇ。それにしてもねぇ。ほんとに戦争で何もかも一度振り出しに戻ったんだねぇ。」
千鶴子は黙ったままでいた。小美世は、看板の並んだ文字の裏側を敏感に感じ取ったのだ。
松坂屋の前を抜けて四丁目の交差点あたりまで来ると、新橋の駅前にあったような露商がポツポツと出ていた。並べられたものを物色している人もいる。
「どう見たって、銀座名物の夜店という風情じゃないわね。ここらへんも新橋みたいになるのかねぇ。」そういう小美世の声が心なしか寂しそうに聞こえた。

月曜日。千鶴子は朝6時に事務所へ出た。さすがにまだ誰も出社していなかったが、2階からはタイプの音が聞こえた。上がってみると、やはり林譲だった。どうやら徹夜をしたらしい。
「おはようございます」千鶴子が言うと。
「お早う。早いね」林穣はタイプライターから目をそらさないまま言った。
「いえ、とんでもないです。お手伝いできる清書分があるかなと思って。」
「ありがとう。タイプ打てるのは君と私だけだからな。でも大丈夫です。あらかた終わった。いま、結びの部分を書いているところです。」
「お疲れ様でした。」
 しばらくして「よし」と言うと、林穣が勢いよくオリベッティから打ちあがった紙を抜いた。そして他の書類に重ねて、机でトントンと叩く。
「理事長が出社したらすぐに出かけます。」
「はい」
「新聞に広告を出したいです。山崎が出社したら、このメモを素材にして、新聞社と話してください。」そう言いながら林穣は、紙片を千鶴子に渡した。
「何日の新聞に出せばいいですか?」
「できれば明日4日。無理なら5日。4日は慰安部が慰安婦募集の広告を出すと聞いています。だから出来れば同日にキャバレー部も出したい。R.A.A.は娼妓だけ集めているとおもわれたくないんです。」
「R.A.A.?」
「連合軍に我々が何をめざしているのか、判りやすくするためにウチの社名を近いうちにR.A.A.にします。決めました。今日の連合軍への事業説明は、すべてR.A.A.で通します。そして我々が連合軍将士に売春婦を提供するだけの会社でないことを周知させます。我々は、全てのあらゆる娯楽を彼らに提供する会社です。その話をする。」
「よろしくおねがいします」千鶴子は万感を込めて頭をさげた。
「だからキャバレー部は質の高いダンサーを集めたい。山崎に慰安部の担当者と話して、2つの広告文があまり被らないようしてほしいと、私が言ったと伝えてください。あちらは慰安婦募集。我々はダンサー募集です。ほんとうに踊れるダンサーを採用する。いまは踊れなくても、素養のある子は採用してダンス教室で教える。ダンス教室も早急に創設します」
「はい。判りました」千鶴子は明るく答えた。林穣の情熱が乗り移ったようだった。
千鶴子は、林穣に手渡された広告文を黙読した。
「文は変えても構いません。しかし最後のキャバレー部だけは取らないでください。」
林穣は書類をカバンにしまいながら言った。
そのとき「おはようございます!」と、宮沢理事長が乗っている社用者の運転手が階段を小走りに上がってきた。
「行ってきます。」運転手に片手を上げながら林穣が千鶴子に言った。
千恵子は席から立ち上がって一礼した。

画像1

画像2


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました