堀留日本橋まぼろし散歩#19/日本橋・小舟町
按針通りをそのまま昭和通りを抜けると小舟町になる。
「小舟町はね、日本橋小舟町というのが名前だ。丁目がない。昔は大船町と対を為してたんだが、いまは小舟町だけが残った。道三堀沿いに作られた町だよ。材木町/舟町/四日市町/柳町なンてぇのがあったとモノの本にはある。その舟町が小舟町と大船町に分かれたんだ。ただ、今の小舟町は企画整理の折に相当堀留側に併合されたんで小さくなってる」
「材木町とか舟町とか・・この辺りも江戸城築城のために作られた町なの?」
「そうだな。始まりはそれだな。材木町はそのために築城のための材木が水路だーで運ばれて降ろされたところだ。いまの大手町あたりがそれだ。舟町は廻船業者の町だった。扱う船と扱う荷物によって小舟と大船に分かれてたんだろうな。統合されて小さくなるまでは小舟町・西小舟町何丁目とか、それなりに大きかった。・・それで、道三堀の南側には近郷で作られた野菜を売る市場が置かれた。それが四日市町だ。
家康さんにくっ付いて江戸へ引っ越ししてきた摂津の漁師たちは獲った魚を道三掘りを使って江戸城まで運んだんだ。それなんで北河岸にその舟が並んでね・・場所的には常盤橋から一石橋あたりまでだが、これが魚市場に発展していったんだ。」
「でも・・そんな町の名前。なかったわよ」
「うん、道三堀界隈に作られた町で、名前がかろうじて残っているのは小舟町だけだ。町の人たちが頑張って丸のまんま堀留町に合併吸収されてなくならないようにしてくれたおかげさ」
「残そうと思えば残せたのよね。木挽町も」
「ああ・・まあ、それは言うな」
「でも・・こうやって歩いてみると、意外に日本橋と人形町って近いのね」
「そうだな。昭和通りで分断されてるし川筋が大きくうねるから、感覚的に遠く感じるのかもしれない。
実はわりとチマチマした町なんだ日本橋はね」