星と風と海流の民#44/マゼランの高慢と挫折
遠い昔のフーナFo'naとポンタンPontanの薫りを追いながら、しばらくフーナ・ロックFuha Rockの周辺を散策した。そして、お供物のお米を捧げて黙とうの後、もう一度山を登り始めた。しばらく進むとさすがに息が荒くなった。
「行きはよいよい・・だな。ずっと登りはきつい」僕が言うと、ガイドしてくれたRamon氏の息子が笑った。
漸く国道まで辿り着くと、Ramon氏がすぐさまエビアンの小さい瓶を僕と家内に渡した。
「お疲れさまでした。いかがでしたか?」
「ありがとうございます。何回もグアムには来ているのですが、ようやく夢が果たせました」
「それはよかった」笑いながらRamon氏はクルマのドアを開いた。
僕ら二人が乗るとRamon氏が言った。
「少し休憩しますか? それとも出発しますか?」
「行きましょう。このあとはウマタック村Humåtakのマゼラン記念碑Magellan Monument(7MX7+H5G, 2, Humåtak)を訪ねてから、Valley of the Latte Adventure Parkへ向かいたいです」
「了解しました」
Ramon氏のクルマは国道2号をウマタック村へ走った。ゆっくりの下り坂である。道路の向こうに美しいウマタック湾が見えた。
「ウマタック村はマゼランが寄港したところだ。1521年3月6日と航海日誌にある。マゼラン海峡を越えたのが1520年の11月28日だったから、3か月の長旅だ。この間、水と食料の補給がままならなかったそうだ」
「え~他の島には寄らなかったの?直接、グアムに向かったの?」
「地図はないからな。それはムリだ。まずは南アメリカ大陸に沿って太平洋を北上し、ペルーの沖エクアドルあたりから赤道の海流を得て西へ進んだそうだ」
「あらま、それはそうよね。地図はないわよね」
「2か月以上、何もない大海原を走ったそうだ」
「ほんとに命がけだったのね。でもなんでそんなに命を懸けるような航海をしたの?」
「スペイン王からインドへの西側ルートを開拓するためさ。コロンブスが同じ命令をスペイン王から請けてアメリカに達したのは1492年10月12日だ。当初はここがインド大陸の一部だと思われていた。しかしその向こうにも大海原が見つかって、インド大陸は更に西だと判ってね。同じ命令をマゼランにしたからだ」
「ふうん、どうして西側からインドに行こうとスペイン王は考えたの?」
「ポルトガル王との確執だ。その話は長くなるから止めとこ」
「はいはい。で。マゼランは太平洋を渡ってグアムまで来た・・というわけ?」
「そうだ。彼らは此処で水の補給と食料の補給をしようとした」
Ramon氏のクルマは海岸沿いの村の間を抜けてマゼラン記念碑に辿りつた。僕らはクルマを降りて石塔の前に立った。
「しかし、彼らは歓迎されなかったんだ。それでも略奪まがいのことをしながらマゼランは早々に此処を立ち去っている。
彼の航海日誌にはグアムのことを"Islas de los Ladrones(盗賊の島々)"と書いてるよ。ははは、どっちが盗賊だかね、分からないが。それでもマゼラン以降、此処はスペイン船の居留地になった。スペインによるグアムの支配は、このウマタック村から始まったんだ」
「ふうん」嫁さんはあまり興味がなさそうだった。
「グアムの人々をチョモロと呼んだのはスペイン人だった、という説があります」横に並んでいたRamon氏の息子が言った。
「あら?」
「グアムの人々は、頭頂を剃って横の髪を長く伸ばしていたそうです。そのスタイルをスペイン人は、チョモロChamorroと呼んだそうです。スペイン語で"豚の脚"とか"ひげのない小麦"とか"禿げ頭"というような意味だそうです。
最初のスペイン人の航海日誌にもグアムの人々は『男女とも腰まで、あるいはそれより長く伸ばした長い黒髪をしている』とあります。それとか『その長い髪で1つまたは2つの髷に結っていた』とも書かれています」
「なるほどねぇ」嫁さんが感心した。
「太平洋へ広がった古代オーストロネシア人の髪型は総じて長髪だったようだ。魏志倭人伝にも『其衣橫幅、但結束相連、略無縫』とある。髪を伸ばし髷を結うのが隼人たちの一般的な風習だったのかもしれない。特に戦士/族長やシャーマンは、髪を長く伸ばしていた。髪に霊力があると信じられていたからだ。だから敗者はまず断髪した。霊力を奪ったんだ」
「びっくりね」
「それと‥刺青な。『文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差』とあるから、隼人たちは普通に魔除けとして入れ墨をしていたんだろうな。
その習慣を広げたのは古オーストロネシア人だろうな。言葉と共に風習も宗教も広がったんだ」
「最初にグアムの人たちに出会ったスペイン人たちはびっくりしたんでしょうね・それでチョモロChamorro/豚の脚と呼んだのね。きっと馬鹿にした感じだったのかしらね」
「そうかもしれない。しかし未開ではなかった。馬鹿でもなかった。自分たちの長い文化と歴史を持った人々で、勇猛な人々だった。非キリスト教徒=未開=サル並みというスペイン人のロジックとは大きく違った」
「そのために、色々な悲劇が起きたわけね」
「ん。マゼランは1521年4月27日にフィリピンのマクタン島で死んでいる。彼がフィリピンに到着したのは3月16日だ。
彼は、先ずホモンホン島に停泊し、それからセブ島に移っている。この時、当然のこととして『未開人を統馭するため』にキリスト教を彼らに押し付けたんだ。それにマクタン島の首長ラプ=ラプが強く抵抗した。マゼランは所詮未開人として、ラプ=ラプを侮り。50人ほどの兵士を連れてマクタン島を襲った。しかし戦いは完敗だった。マゼランは此処で死んだんだよ。これは「マクタンの戦い」と呼ばれていてね、ラプ=ラプは今でもフィリピン独立精神の象徴として称えられている」