星と風と海流の民#39/グアムのチョモロ
20年ほど前、前職時代のこと。グアムで経営カンファレンスを開いたことが有る。
僕は嫁さんを伴って、これに参加した。ホテルはニッコー・グアムHotel Nikko Guam(245 Gun Beach Road, Tumon, 96913)を借りた。ここの2階にTasi Ballroomという大きな部屋が有る。此処を利用したのだ。カンファレンスの後、僕らはそのまま一週間ほどホテルへ残った。
チョモロとチョモロの血「星と風と海流の民」の道を少しの間、歩きたかったからだ。
ホテルのコンシェルジェにその旨を伝えると、ガイド兼ドライバーを手配してくれた。やってきたのはフィリピン人の中年の人だった。ここではRamon氏と呼ぼう。彼は流暢に日本語を話せた。
「チャモロたちの生活と、遺跡を見て歩きたいんです」僕が言うと、彼が沈思した。
「そうですか・・私は専門家ではないので簡単なことしかガイドできませんが」
「充分です。チャモロたちの生活が見て歩きたいんです」
「そうですか。ではご案内しましょう。まずはラッテストーンを見てからにしましょうか?」
「お願いします」
「先ずはラッテ・ヘリテージ・パークLatte Heritage Park(FQC2+WPQ, W O'Brien Dr, Hagåtña, 96910)からご案内します。行かれたことはございますか?」
「はい。・・でも家内は初めてなので・・お願いします」
Ramon氏のクルマはホテルを出た。距離的には10kmくらいだろうか。軍路を兼ねた広い通りを海岸に沿って南西へ進む。
「ねぇ、ラッテストーンってなに?」嫁さんが聞いた。
「古代チャモロ人が作った石柱だ。大きさは色々ある。グアム島だけじゃなくて北マリア諸島ではよく見つかる遺石だ。どうやら住居を建設するときに土台として使われていたものらしい。チャモロの家は高床式だったようだ」
「高床式?バンコクで見かけた、あんな感じだったの?」
「ん」
「下の柱をハラギイhalagiと言います。下の部分がタサtasaです。二つの石を重ねてます。ハラギイは円柱で、その上に乗っているタサは球を半部に切ったような形で、平らな部分を上に向けてます」Ramon氏tが言った。
「ふうん。上に建物を乗せるためなのかしら」
「おそらくそうでしょうね」とRamon氏。
「バンコクの高床式の家も土台は石柱なの?東南アジアって高床式の家が多いんでしょ?」嫁さんが僕に話を振った。
「そうだな。湿地帯や川沿いの地域で暮らしている人々は高床式にしてる。
カンボジアのトンレサップ湖周辺とか、ベトナムのメコンデルタとか、インドネシアのスマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島、パプア地域。ミャンマーのエーヤワディー川流域がそうだ。マレーシアだとマレー半島やボルネオ島のサラワク州、サバ州にある。
フィリピンだとバハイ・クボBahay Kuboだ。マレーシアはランバウ・ハウスRumah Lumbungとかランバウ・アタンRumah Atap。インドネシアはロンハウスLonghouse。ミャンマーはアインドンAindongなんて呼ばれている」
「あらそんなに色々あるの?知らなかった}
「しかしどれも基礎の柱に石は使っていない。竹か丈夫な木材だ」
「あら?どうして?だって太平洋へ広がった人たちでしょ? その人たちは、同じような高床式でも石材は使っていないの?」
「おそらくだな、島へ渡った人たちは木材や竹が豊富に手に入れられなかったからだろうな。それと島々には湿地帯や川沿いの地域のような水量の激変。流れの激変が無かったからに違いない。
水位の変動が頻繁にあると、石製よりも木製の方が柔軟性が有って適応しやすい」
「なるほどね」
「それに湿地帯や川沿いの地域だと石材は調達しにくい。コストがかかる。だから木材や竹になる。石材は使用されていないんだろうな」
Tamon氏のクルマはカントン・タシ通りを左折した。
「もうすぐそこです」Ramon氏が言った。