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ボルドーれきし ものがたり/1-10 "交易"

メソポタミアの人々は、銅鉱を肥沃な三角地帯の東方・ザグロス山脈に求めました。フェニキア人/ギリシャ人はキプロス島に求めた。女神キュプリウムCYPRIUMの島に求めた。なのでギリシャ人は銅鉱のことをChalkósと呼んだ。英語ではCopperです。すべてがこの女神の名前を由来としています。対してエジプト人は、エジプト東部にこれを求めた。いずれにおいても採掘は極めて困難で重労働な上に精練も危険な作業でした。
なのでローマ時代は、彼らの銅山では奴隷だけではなく、重犯罪者/異教徒なども刑罰としてこれに向かわせていました。イスラエル/ヨルダンにあるフェイナーン、ティムナ、ナハス、キルバト、エンなどの銅採掘場がそれです。

聖書ヨブ記の中に、この銅採掘の話が出てきます。

28:1しろがねには掘り出す穴があり、精錬するこがねには出どころがある。
28:2くろがねは土から取り、あかがねは石から溶かして取る。
28:3人は暗やみを破り、いやはてまでも尋ねきわめて、暗やみおよび暗黒の中から鉱石を取る。 
28:4彼らは人の住む所を離れて縦穴をうがち、道行く人に忘れられ、人を離れて身をつりさげ、揺れ動く。
28:5地はそこから食物を出す。その下は火でくつがえされるようにくつがえる。
28:6その石はサファイヤのある所、そこにはまた金塊がある。
28:7その道は猛禽も知らず、たかの目もこれを見ず、
28:8猛獣もこれを踏まず、ししもこれを通らなかった。
28:9人は堅い岩に手をくだして、山を根元からくつがえす。
28:10彼は岩に坑道を掘り、その目はもろもろの尊い物を見る。
28:11彼は水路をふさいで、漏れないようにし、隠れた物を光に取り出す。

キリスト教を国家への背信とし、ローマはまさに彼らを「シベリア送り」にした訳です。

一方、北へ広がった印欧語族/ケルト人・ガリア人たちはトランシルバニア(ルーマニア)やブルターニュ地方の山間部、イベリア半島などで銅/錫鉱を得ました。そして時代が下るとボヘミア・スペイン・ブリテン島などで錫鉱をするようになりました。

地中海周辺の人々にとって、銅/錫は貴重な材料でしたが、北に広がったケルト人・ガリア人にとっては比較的容易に手に入る材料だったのです。
ここに交易が生まれるのは、必然ですね。
この地中海世界と北方世界の交易のきっかけを作ったのは、早い時期から地中海西側を制覇していたフェニキア人です。ローマとフェニキア人は犬猿の仲(ポエニ戦争など)でしたが、その横で交易はしっかりと行っていたのです。

そのフェニキア人が、ジブラルタル海峡を超えて大西洋沿岸へ広がったのがB.C.300年頃、彼らはカディスに交易のための都市を作り上げると、内陸部/山間部へ鉱床を求めて進出しエルバHuelva付近で含銅黄鉄鉱鉱床を発見しています。さらに周辺で Rio Tinto、Tharsisでも膨大な鉱山を発見しています。これらの鉱床は現在でも世界最大で、フェニキア人は此処で得た錫/銅を利用した交易をローマと盛んに行っています。

ローマは、この鉱山が喉から手が出るほど欲しかった。なので第1次ポエニ戦争に勝利するとローマはスペイン全土を占領し、同地を全てローマのものにしてしまいます。

このカディスを我が手中に落としたことが、大西洋ルートの交易を可能にさせた。以降ローマの商人たちは熱心に、ブリテン島/ブルターニュ半島へ交易ルートを求めます。
交易相手は、ケルト人/ガリア人でした。
もちろん彼らとの交易は、既にローヌ川を利用して始まっていました。多くのローマ商人たちが欧州東北部に進出しており、ケルト人/ガリア人との交易は珍しいものではなくなっていたのです。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました