小説日本国憲法/おわりに
先人の血と汗と涙の上に、町も人も在ります。
私たちは、文明と文化の街道を旅する者だと云えましょう。
正しく携えた荷物を後人に託すには、やはり先人の道を知る必要が有ると筆者は考えます。 しかし現代史を見つめようとすると、どうも不明な部分が多い。「こうなった」は残されている。しかしその背景に有る「何故そうなったか」については何となく藪の中という話が多いのです。こうした背景に疑問をもたないまま、事実を羅列する姿勢に筆者は強いストレスを感じます。
実は、筆者はアメリカTV映画/刑事ドラマの大ファンでして。きちんと張られた伏線が、思いもよらないもので、それが見事に解決していく筋立てが大好きです。
それなので最初に「マッカーサー回顧録」を手にしたとき、一番最初に浮かんだ疑問は、「何が彼にこれを書かせたか?」でした。読めば読むほど、彼の言葉の後ろにいろいろなものが見え隠れしているように思えたのです。とくに昭和天皇との最初の会談の件、なんとも不自然です。幣原とのこと。これもまるで連合総司令官と思えないほど、軽薄な反応で「あ~びっくりした」と書いている。こんなもの額面どおり読めるわけはない。
なんとか一人合点でも良いから辻褄を合わせたい。そう思ってしまいました。 それから5年あまり、さまざまな資料を読み漁ったのですが、調べれば調べるほど「それおかしいだろ?」と思える話にぶつかってしまいました。 辻褄が合わない。どう考えても、裏に埋められている「事実」がある。そう思ってしまったのです。
その、合わない辻褄を無理やり合わせようとすると、残されている話の間に"妄想"を挟むしかなくなる。"わからない"と藪の中に鎮座させたまま放置するのも方法だけど、どうしても辻褄を合わせたくなるのが、ヒトのサガと云うヤツですね。 妄想で隙間を埋める。
そこで筆者は、日本国憲法の全体を、三つの"妄想"で辻褄合わせをしようと思いました。客観的な証拠はないが・・「と。すれば。話の落ち着きが良い」という妄想です。
①ひとつは、厚木に降り立ったマッカーサーとその腹心の部下たちが、まったくの軽装だったことです。つい数週間前まで、米軍は日本軍と血みどろの戦いを続けていました。彼らにとって日本軍/日本兵は理解の出来ない戦い方をする敵でした。日本兵は降伏と云う姿勢なく、死ぬまで抵抗する兵士たちでした。そのためサイパンも沖縄も、米軍は陥落させるのに膨大な損失をしました。このまま本土決戦となれば・・マッカーサーは50万人の戦死者が出るだろうと予測していました。その数の勲章まで発注し用意していたのです。 しかし、降伏使節団がフィリピンを訪ねると、態度が豹変します。なぜでしょうか?あの使節団の面々に、マッカーサーとその腹心の部下が重装備をせずに、まるでランチに行くかのごとき軽装で、特攻隊の本拠地に降り立つ決意をさせた人物がいるとは思えません。 だとすると・・「日本は無血開城するつもりである」とマッカーサーへ伝える密使が紛れ込んでいたのではないか?筆者はそう妄想しました。
誰が送った密使なのか?もちろん昭和天皇です。
しかし、なぜマッカーサーがその密使の言葉を信じたのか?絶対に信じるであろうモノを携えていたからだと妄想しました。それは何か?陛下しかお持ちになっていないもの・・三種の神器です。そしてそれが「何か」理解できる人間がマッカーサーの傍らにいた。ボナー・フェラーズ准将です。 密使はそれをマッカーサーに預けることで「無血開城」を保証した。そう妄想しました。
②ひとつは、唐突に登場し、そして唐突に姿を消す。総理官邸の机の上に放置されていた憲法草案です。これを毎日新聞の記者が拝借しなければ、あのスクープは無く、強引なGHQ側からの圧力も存在しませんでした。
ところが、その持ちだされた憲法草案は、記者がそっと机に戻すと、すぐさままた魔法のように消えてなくなってしまう。おかしいでしょう?アメリカ製海外ドラマの視聴者なら絶対に「誰がそこへ置いたか?」を考えるはずです。 もしあのままジリジリしながら、日本側からの草案提出まで待っていたら、対日理事会のハゲ鷹どもが、来日して日本を食い散らかし始めていたはずです。マッカーサー自身の立ち位置も、一段下げられたものになっていたはずです。
それを一掃したのが、あのリークでした。 こいつがただの偶然だとは、筆者にはとっても思えないのです。
筆者は、これをGS(民政局)のケツの重さに業を煮やしたバターンボーイズから、首相官邸内の次官の誰かに、彼らが手に入れていた草案が仲介を通して渡され、それが記者の目に触れる場所に置かれた・・としました。
そして、その役者として白洲次郎・新橋の(出自の分からない)松田義一夫婦を置いてみました。
この松田義一夫婦ですが、義一をフィリピンに埋められた"草"・・工作員「kappaとギリシャ文字で呼ばれた男」としました。そして松田芳子を「もう一人の東京ローズ」としました。これらは全て筆者の創作です。
おそらくですね。GS(民政局)の中には、このリークを事前に知る者はいなかったはずです。でないと、リーク後の言動の話が合わなくなる。おそらく全員がビックリ!だったと僕は思います。
しかし、そのときにマッカーサーから出された三原則は、周到です。騒ぎに驚いて付け焼刃に作られたとは思えないのです。 とくに「軍備放棄」の項には、熟考の跡が見られます。彼はかなり早い時期から"新"憲法はこうであるべきというビジョンを、マッカーサーは持っていたと考えられます。では。誰とその話を・・骨子を決めたか?あれほど自信を以て、これで良いとした確証は、誰によってもたされたものか?これもまたアメリカ製海外ドラマの視聴者なら絶対に「マッカーサーは、誰に支えられて日本の軍備放棄を司令したか?」を考えるはずです。
③だとすれば・・ただ一人だろう。 昭和天皇です。
これが筆者の、もう一つの妄想です。
マッカーサーと天皇の会談は、未だに全ては公開されていません。ここに秘められたままのものがある。筆者はそう思いました。でないと、あれほど高慢なマッカーサーがただ一度逢っただけで、あれほど豹変するわけが無いと思うのです。
そして以降の陛下のお言葉の中にも、米国との友好が日本を守る最良の方法であるというお心があります。したがって発案者は昭和天皇であるというのが筆者の、三つ目の辻褄合わせの妄想です。
長い間、マッカーサー三原則、GHQ憲法草案は秘密にされていました。もちろん日本国憲法そのものを読めば、そして帝国憲法と読み比べれば、その根底が日本人の発想でないことは明確です。翻訳調であること以前に、日本国憲法はあまりにも西洋調です。したがって当時から既に、その成立にGHQの介入を洞察した人々はとても多かった。
そのベールが剥がれた今、私たちはそれがマッカーサーの都合で作られたものであることを知っています。それでも未だ、私たちは日本人のあるべき姿を定めるものである日本国憲法を頂き推し崇めている。なんとも戦後の日本を象徴する哀しい話です。
最後に、1946年8月最後の五日間。貴族院で行われた憲法草案審議の中で、東大総長だった南原繁が放った発言を再掲したいと思います。
南原はこう言いました。「この憲法は日本国憲法のものではない」「日本政府がこの憲法改正に対して、最後まで自主自立的に自らの責任をもってこれを決行することが出来なかったということをきわめて遺憾に感じ、国民の不幸、国民の恥辱とさえ私どもは感じているのであります。」
彼が塗れた汚辱から、我々は未だ逃れていない。